2021年12月24日金曜日

Get Back

Disney+で先月公開になったBeatlesの「Get Back」を観た。アルバムと映画「Let It Be」は自分にとって特に思い出深いものなので、逆に観なくてもいいかな、とも思いつつ、でも観ておきたかった。

結論から云えば、観なくてもよかった。8時間強の映像の中で自分にとって興味深かったのはせいぜい10分程度。あとは中学生の頃に映画「Let It Be」を観て感じた事とあまり違いはなかった。「Get Back」予告編映像が、まるで今までの「Let It Be」に対する印象を覆すかの様に巧妙に編集されていたのに自分もまんまとハマったのだけども、違うのは映像と音響が調整されて近年の映像作品の様にクリアになってる事くらい。

「ジョージが一時脱退していた」と云うのが新事実の様に云われていて、その通りなのかも知れないけど「Let It Be」を観ればジョージの不満は明らかだし、ポール以外のメンバーはもうBeatlesへの熱意を失いつつあって、逆にポールだけは素晴らしい楽曲を次々に提案してなんとかバンドを引っ張ろうとするけど空回りしているのも分かる。ジョンは案外誰に対しても冷淡で、ジョージの脱退に対して戻る様に説得しに行こうと気を揉むのはむしろポールの方。

自分の勝手な印象ではジョンはとても臆病で繊細、であるが故のあの物腰なんだと思う。対してポールは無防備で無邪気さ(無神経とも云えるかも知れないけど)を感じる。そつの無い言動も含めて。ジョージは案外図太く逞しい。ジョンとポールと云う最強楽曲チームに独りで立ち向かって自分のソングライティングを達成した人だからかも知れない。リンゴが誰に対しても鷹揚に見えるのはソングライターとしてのエゴがないからだと思う。

そんな崩壊寸前のBeatlesがラストでルーフトップコンサートを強行して一瞬だけロックンロールバンドとしての輝きを放つ流れも映画「Let It Be」と同じだったので、なんで8時間もかけてこれを観なきゃならなかったんだろう?と思った。まあでも気が済んだからいいか。、、あと8時間と云う過酷な長さを観たからこそ、この時のBeatlesが煮詰まった状態のまま何処へ向かって何を目指せばよいのかも分からず音楽を作らなくてならないと云う酷い状況に置かれていながらも、あれほどの音楽(演奏)を残したバンドとしての底力の凄さを感じさせられた気もする。

興味深かった部分はポールがベースをかき鳴らしながら鼻歌でテキトーな思い付きを歌うシーン。それはやがてGet Backの印象的なメロディの骨格に変わって行く。このシーンだけは本当に曲の原型が発生する瞬間を捉えていて前のめりに見入ってしまった。そして後に印象的なドラムのビートにアレンジされるビート感はこの時既にポールがベースで表現しているので、この曲はこのビートから生まれたのが分かる。(他にも骨格となるメロディとコードだけ作って来て、こんな曲だけど、と他のメンバーに披露されるシーンはたくさんあったけどこのシーンみたいなのは他にはなかった。あとこのシーンで面白かったのは、ポールが目の前でGet Backを生み出すのをジョージはギターを抱えながら目の前で見ているんだけど、「こんな思い付きにいつまで付き合わせるんだよ?」と云いたげにあくびをしていた)

話は変わって、相変わらず2日に分けて時々映画を観ている。 たまにこの親子や親族はホントに血が繋がってるんじゃないか?と思う程違和感なく似ている人が演じている映画がある。逆にあり得ないだろう?と突っ込みたくなる程似てない親子の作品もある。別にどっちが良いとか悪いじゃないけど、違和感なく見えるくらい似ている配役にはきっとかなりの苦心があると思うし、演じる方もふとした表情や眼差しにまで親子らしさを滲ませたりしていて、凄いなと見入ってしまう。先日はとても地味だけどそう云うところに並々ならぬ拘りを感じたフランス映画を観てとても良かった。こう云う地味〜なフランス映画には非常に個人的なストーリーでありながら社会的な問題提起もされている作品が多いなと思う。

余談、毎日を絵を描いているとたまに(年に1~2枚程度)、ひとつひとつの作業がやけにスムーズに進んで思いがけず早く完成する絵がある。せいぜい1日早まる程度だけど。逆にいちいち作業が難航して修正と再挑戦を繰り返しながら普段より2~3日余計に時間がかかる作品もある。でも出来栄えには何も差異はなくて、時間が経てば忘れてしまう様な事。

余談2、自分はこの数年、1日に食べるものの量が殆ど変わっていないと思うのに先月辺りから妙に体重が増え始めて何故だろう?と考える。せいぜい2~3kg増なんだけど、体力がない所為なのか身体が重く感じてしまうので元に戻したい。しばし考えて当たり前の事に思い当たる。量は変わっていなくても食べる時間帯が変わっていた。このところ書いていたように最近寝る前の1時間くらいの間に映画を観るのが習慣になってしまい、以前は食後すぐに食べていた甘いもの等を、後で映画観ながら食おうとか思って後回しにしていた。寝る前に甘い菓子パンなど食っていればそりゃ太りそうだと気付いて、菓子類は食後すぐに食べて、寝る前は何も食べたりせずぼんやり映画を観るようになったら数日で元に戻った。



 


 

 

2021年11月26日金曜日

3 Doors From Paradise

このところ映画の感想続きで恐縮ですが、今回もです。

「3 Doors From Paradise」邦題「ビューティフル・チャンス」を観た。なんの予備知識もなくテキトーに選んで観たけど、とてもよかった。このところよかったと思う映画を幾つか観たけれど、断トツかも知れない。

しかし感想レビューの殆どが、 心温まる、癒される物語、、となっているのがなんだか腑に落ちない。以下少しネタバレ。自閉症で生活力のない男性が施設を追い出されてしまうが、売春婦の母親に苛まれながら劣悪な環境に暮らす少女と、恵まれない生い立ちの所為で家族を持つ事に憧れを抱いている女性(恋人が薬の売人)と出会って、温かい交流と共に居場所を得て行く、、と云うシンプルなストーリーなのは確かなんだけど。そして、自閉症の男性に対して何の偏見も持たずに当たり前のように親しく関わろうとする少女と女性の鷹揚さと聡明さは確かに頼もしく心温まるのだけども、、。 

別の側面で云うと、この映画は演者を揃える事が出来たならば、撮影場所は自分の部屋と友達の部屋を借りて、近所の道端と公園を利用して、スマホで撮影して丁寧に編集すれば作れてしまうんじゃないかと思うくらいの低予算。そして明らかにB級っぽさを意図的に作っている。施設のおばさんの着ているものが登場毎に奇抜さを増したり、所々に金のかからないギャグが仕込まれていたり、なんともビミョ〜な違和感のある音楽や効果音の使い方も、いちいちB級っぽく気が利いている。

そしてあるシーンで少女が自閉症のおっさんの目を見据えて訴える。「闘うのよ!」この映画の芯はこれに尽きると思う。人と同じように、出来る、出来ない、持っている、持っていない、等々で差別したり見下したりする世の中に対して、自分達を惨めにしようとしたってそうは行かない、「私たちは全然平気で楽しくやって行くんだ」って、中指を立てているような作品なんだと思う。最後のドタバタも含め、全体に悲壮感を持たせずに淡々としてるところが良いんだよね。そう考えれば低予算もB級っぽさもこの映画の必然だったのかも知れない。

なんとも味のある出演者ばかり揃っているし、簡潔で的を得た台詞やヘンテコで楽しませてくれるカメラワークなどさり気なく、でも丁寧で用意周到な作品だと思うな。この監督はもしかしたらジム・ジャームッシュとか好きなのだろうか?でも内容の空虚さと云う点では全然似ていないけども。好きな映画は?と訊かれたらきっとこれからはこの映画を含めると思う。

蛇足1、
最近観たもう一つの映画は「人生スイッチ」。数年前にちょっと話題になっていたので観てみたかった。ちょっとだけ面白かったかな、、でも途中で観るのやめたくなってしまった。子どもの頃に何処かでチラッと観た覚えがあるアメリカTV映画「トワイライト・ゾーン」や'90年頃のTV番組「世にも奇妙な物語」を思い出したけれど、。



2021年11月14日日曜日

ザ・ピーナッツバター・ファルコン

「ザ ピーナッツバター ファルコン」と云う映画を観た。とてもよかった。

例えば70年代の山田洋次監督の映画を観ると瀬戸内海やその他諸々日本の風土の美しさや懐かしくて鄙びた風情を感じるような、味わい深いアメリカの原風景が広がる(アメリカ人ではないので自分の勝手な印象だけど)。その風景に同調するような音楽もよかった。

中心的登場人物三人が三様に自分の人生を見失い、もしくは奪われて途方に暮れているけれど、出会いによって家族的結び付きを得て、それぞれの人生を取り戻して行く。と云うシンプルでハートウォーミング?なストーリーの側面がありながら、随所に深読みしたくなるようなおとぎ話的な要素が散りばめられていて、安易な作品ではない曲者感も濃厚。映画批評家からの評価がすこぶる良かったらしいけど、批評家と云うか映画通に好まれそうな作品だなと思う。良い悪いではなくてただなんとなく、。

余談だけど主人公の一人の着ているものが明らかに「パリテキサス」の主人公をなぞっているんだけどなんか意味があったのかな?きっと映画に詳しい人なら他にも色んな仕掛けがあったように思う。

多少ハードなシーンもあるけど全体にはローギアでノロノロ走っているようなダウナーな感じが、ちょっとだけ「ナポレオン ダイナマイト」と云う映画を思い出した。ストーリーも設定も全然違うけど根っこで云わんとしている事が近いと思う。この映画もとてもよかったけど邦題が酷くて「バス男」

先日も書いたけど僕は寝る前の40分くらいの娯楽として映画を観るので、大抵2回に分けて観ている。だから気に入った映画を観終わった後は2日分寂しい。 

話は変わって、

余談1、自分くらいの年齢であれば当然糖質食い過ぎは気になるけどビスケットなど小麦粉系が好きなので悩みどころ。近所のスーパーにロカボクッキーと云う商品があって買ってみたら美味い。小麦粉を減らして代わりにアーモンドの粉を使っているとの事。お値段¥298-とスーパーの菓子類としては安くないけど、量の少なさがただ事ではなかった。中身は分包されていて2枚がひとつの小袋に入っていて、それが5袋入り。つまり10枚入りなんだけど1枚が大変薄くて小さく、分厚く大きめなクッキーなら全部で2枚分に満たない程度。美味しくて糖質控え目とは云えこの値段と分量には納得出来ず一度しか買っていない。

余談2、毎日あの手この手で送られて来る大量の迷惑メール。時折自分が使っているカード会社を語ってのフィッシングメールは一瞬「えっ?」と思う時もあるけど大抵は気に留めず消している。ここ数日自分はハッカーだと語るメールがたくさん来て、それもよくある類なんだけど、その語り口がやけに馴れ馴れしくて「ハーイ!君に困ったお知らせがあるんだぜ!!」みたいなのが来て、なんだかとてもイライラした。なんなんだよ、その明るさは?せめて悪質メールらしく後ろ暗い陰湿な感じで話せよなって思うわけ。

余談3、以前は花粉症が辛いのは春頃だけだったけど、近年は秋も結構辛い。今年は秋花粉多いんじゃないかな?春と変わらないくらい辛い。寒くなり始めの今時分なので風邪と間違えそうになるんだけど。

こんなどうでもいい余談はいくらでもあるんだけど、もうやめておきます。





2021年11月2日火曜日

日々雑感

 前回映画について書いて以降、数本映画を観たけど直近の2本が立て続けに自分にとっては詰まらなかった。好きな人もいるかも知れないので恐縮ですが、。

「パリに見出されたピアニスト」もう??の連続でこの映画は一体どう云う事なのか?と思っているうちに終わってしまう。 全てがハリボテのように表面的で登場人物の誰にも背景が感じられない。たぶん主演のにいちゃんのプロモ映画って事なのか?映画って色んな事情がありそうだから別にいいんだけど、以前素晴らしい名優だなと思っていたクリスティン・スコット・トーマスが出てて、でも役柄も演技も面白くなくて、なんだかなと思った。

次に観た「イエスタデイ」。Beatlesを題材にした映画なので観たけど以前似たような設定の漫画を読んだ事があるし、でもそれを抜きにしても詰まらなかったな。詰まらない映画観ちゃうと早く寝りゃよかった、って云う程度の残念さがある。

話は変わって、母親に頼まれて母が長年使っていた大きな箪笥の処分に一苦労。2階の部屋に置かれたその箪笥はやたらと大きくて重いので自力で外へ運び出すのは無理。若ければやってみようとしたかも知れないけど今の年齢だと後で後悔するのが目に見えている。なので市の粗大ゴミ収集には頼めず、民間の業者に見積もりに来てもらうのだけど、なかなか予算との折り合いがつかない。4件目の業者で漸く予算内で引き取ってもらえた。

その箪笥の奥に仕舞われていた古いアルバムの中から自分にとっては興味深い写真が数枚出て来てしばし見入ってしまった。以下の写真は左で変顔をキメてるアホガキが自分、中央で弟を抱いているのが母親、右が叔母(母の妹)。場所は鳥取砂丘で当時父親の仕事の関係で島根県に住んでいて、東京に住んでいた母の妹が遥々遊びに来たので鳥取砂丘を案内したのだと思う。なんとも時代を感じるよい写真。

この写真を撮られている時を僕は朧げに覚えている。おそらく夏休み中で浮かれていて日差しが眩しくて喉が渇いていた。


 












2021年10月20日水曜日

帰り道

相変わらずひたすら絵を描いて、絵具の乾き待ち等の空き時間にギターを弾く毎日。日々の息抜き、娯楽は散歩とアマゾンで海外のTVドラマを観るくらい。TVドラマは1話40分程度なので寝る前にボ〜ッとするのに丁度良い。でも今日は週末から始まるイラスト展の作品を発送して少しホッとしたので、たまには映画でも観ようかと何の気なしに観た映画がとてもよかった。

「家に帰ろう」と云うスペイン、アルゼンチン合作映画。戦争体験を背景にしているけど暗鬱を強調せず穏やかな内容。こういう映画を観て御都合主義のファンタジーでリアリティがない、みたいな言葉しか出ないなら、ずいぶん野暮な感想だと思う。確かに終始優しさに包まれた(くるまれた)ようなエピソードが続くけれど、一人の人間の人生を描く点で見事なラストを向かえる。主演俳優の味わいが素晴らしく音楽も良かった。きっと若い頃に観てもそれなりに感動したと思うけど、今の年齢で観た方が格段に響くのだろうな。

「赦す」こと。それは「解放」を意味する。赦されたのは自分自身だから。その「瞬間」に見失っていた帰路を見出して家に辿り着いたのだ。

この映画はずっと忘れないだろうな。思えば自分にとって心に残っている映画は殆どが年寄りが主人公。「田舎の日曜日」も忘れ難い。邦画なら「故郷」だろうか、。(でもこの主人公はまだ中年だったけど)

話は変わって、10月22日(金)〜11月8日(月)まで鎌倉の木木と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。僕は神奈川在住ですが神奈川県で展示をするのは初めてです。大きな人物画を数点、小さなイラスト作品を多数展示します。是非いらしてください。

「西脇一弘 イラスト展 2021」
木木:神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-8-7 大野ビル101
営業時間 11時-17時 定休日 火曜・水曜
phone : 0467-37-8206
*JR鎌倉駅より徒歩10分

 



 











2021年9月6日月曜日

選択の自由

現在使っているパソコン(マック)は2009年製、10年を超えるとさすがにOS対応的限界で新しいブラウザは入らず通信機器としては不具合が多くなって来る。ア*ゾンプライムの再生が厳しくなってそろそろ買い替えを検討しなくてはダメだろうかと思い始めた。新しいデジタル機器のスペック等には殆ど興味なく、新たな機器を再設定する面倒や、云うまでもなく金がかかる事も嫌なので本当に渋々なんだけど。買い替えたとしたら良いなと思うのは現在のマックは録音専用に出来る事くらいだろうか。DTMアプリが新しいマックには入らないので。

なんで10万円以上するような機器を最低でも10年に1回は買い替えなきゃいけないのか?と当然思うわけで、「搾り取られてるな」感は否めない。日々働いて稼いだ金をしっかり使わされてまた働いて高い税金を払い、また働いてささやかな娯楽に浪費して、の繰り返しは、誰に操られているんだろう?って思うのは当然だけども、人生をそのシステムに絡め取られる事から抜け出せる人は稀だよね。だからSNSに政治への不満が溢れているのも、世の中はごく一部の支配層によって危ういバランスを保っていると陰謀説を唱える人が居るのも当然と思うし、テレビドラマだってもっぱらそんな設定内容のものが多いけれど、突き詰めれば「人間」をどう捉えるか?って話だと思う。

人類の歴史を殺戮と搾取の連続と捉えてそれに引っ張られる人もいれば、基本的に人は「善いもの」だと考える人もいる。信じたくないものを「本当」だと思って絶望するのも厭世的になるのも勝手だし、「善いもの」を信じようと腹を括る人もいる。別の見方をすれば何かを信じさせてくれるのを待っている人もいれば、何かを信じようと積極的に行動する人もいると思うのだ。別にどっちが正しいとか善いとか云うつもりはないけども。

自分も物事の表面を鵜呑みにするのは恐ろしいと思うし、小心者なので色々疑ってかかるところはあるんだけど、でも人は「善いものになりたいものだ」と信じる事に「ある時」自分の意思で決めた。

僕は若い頃からずっと音楽と絵をやっていて、これからも続けて行こうと思っているのは、音楽と絵は自分にとって単純に楽しくて「善いもの」だからだ。もちろん悪意を込めて作られた音楽や絵もたくさんあるだろうけれども。

結局どっちを選ぶか?だと思う(無論あらゆるグレーゾーンを含む前提での話だけど)。物事を悲観的に残酷で醜く理解しようとする人が賢いとは、自分は全然思わないけどね。


2021年8月21日土曜日

晩夏

夕暮れ時、食材の買い出しに駅前のスーパーへ歩いていると救急車のサイレンが近所(ウチから徒歩40秒くらい)に停まった。 コロナで自宅療養中の方が重症化してしまったのだろうか?と心配に思いつつ(知り合いの家ではない)通り過ぎると、そのすぐ先の小さなクリーニング店からヒステリックなオバさんの話し声が聞こえてくる。何やら自分が被った損害について捲し立てて、店主のおっさんは平謝り状態。オバさんは何かを具体的に要求するでもなく、交渉話し合いを求めるでもなく、ただ相手を徹底的に打ちのめしたいだけの言及で、おっさんは云われるがままに打ちのめされて相手の怒りが過ぎ去るのを待っている体。おっさん側に何かミスがあったのかも知れないけど、時々頼みに行くクリーニング店なので気の毒に思いながら通り過ぎる。

ウチから徒歩15分程度の駅前のスーパーに到着していつもと変わりない食材を買おうと思うと、なぜかキャベツが売り切れているので、取り敢えず他のものを買い込み更に少し遠いスーパーへキャベツを買いに行ったらそこでも売り切れていて、仕方なく代わりに白菜を買って、なんでも当たり前に有ると思ってはイカンなと得心して帰路に向かう。

先ほどのクリーニング店の前を通るとオバさんは寸分違わぬ様子でまだ喚いていて、おっさんも変わらず深く頭を垂れて恐縮している。そのすぐ先にはまだ救急車が停まっており、救急隊員の方が忙しく行ったり来たりしている。コロナに感染した方なのか、全然違うのか分からないけど、受け入れ先が見つからないのだろうか?と心配になる。本当にこんな事態はあってはならない事だと思う。たとえ「なんでも当たり前に有ると思ってはイカン」としても。

身近な事柄として、ライブや展覧会を企画する側(お店含む)も出演者、参加者側も規模の大小を問わず難しい決断を迫られている。知人にも感染した人が何人か居てなかなか入院出来ず自宅療養で苦労している様子を知って心配になる。こんな状況で「どうするべき」と自分に云える事はないけれど、ともかく命最優先だと思う。金が(仕事が)なきゃ生きて行けないのも、心血を注いだ音楽や絵や「計画」があるのも、それを必要とする人が居るのも踏まえた上でそう思う。


 

2021年8月6日金曜日

真夏の憂鬱

毎日暑い。オリンピックは行われ感染者数は増え続け、何処かの誰かの不適切な言動がSNSに流れて来て、原爆が投下された日〜終戦の日になって、自分の好きな音楽家の命日があって、度々台風が訪れて、。自分にとって8月は毎年物思いに沈む季節。ワクチン接種は近日中に行く予定。

先日SNSで障害のある人に対するイジメを行った過去が話題になっていた人物について言及するつもりは全くないけど、単純に「イジメ」について書きたい事がある。自分は中学1年生の頃に同級生からの執拗なイジメを経験した。身体が大きく喧嘩が強い事が自慢の横柄な奴だったので、自分を下僕のように扱ってあれこれ命令するのだが、僕は云いなりになるのが嫌でその度に殴られていた(以下イジメ野郎をA、自分をNとする)。この事を教師や親に報告したいと思った事はない。同じクラスの生徒は皆その状況を見て見ぬ振りをしていたが、ある日の授業中、正義感旺盛な?生徒が教師に向かって皆の前で発言する。「A君がN君をイジメているのを度々目にするのですが、先生から注意するべきだと思います」

随分余計な事をしてくれる、と思う。クラス中から同情と好奇が同居した目線が注がれる。教師が「本当なのか?」と訊ねてくるが返事はしない(出来ない)。この教師も若く妙な正義感を持っていて、授業を中断してイジメ問題に取り組み始める。「もしイジメが事実なら君達はなぜ今まで何もぜず、何も云わずにいたのか?」と説教を始め、クラスの端から順番にこの問題についてどう考えているのか?を発言させた。余計な事に追い打ちをかけやがる、と思う。お前のやっている事もただのイジメだぞ?と思う。

大抵の生徒は当たり障りない事を云って場をやり過ごす。「イジメはよくないと思います、自分もそうならないよう気をつけます」等々。すると一人の生徒がこう云った。「僕はN君がイジメられているのを何度も見ていたけど、止めずに皆と見物していました。正直に云うと少し面白がっていたと思います。だから僕もA君と同じだと思います。A君が悪いと責める事は自分には出来ません。ただ今は自分をとても恥ずかしく思っているので、この気持ちを忘れないようにしたいと思います」

幼い自分には青天の霹靂だった。こう云う奴が世の中を動かすんだと思った。教師にもクラスメートにもイジメ野郎にも寛容さを示し、イジメを受けた自分を弱者として処理したこの生徒には反吐が出る思いだった。力のあるものを味方に付ける狡猾さ、もしかしたら自分でも気付いていないかも知れない狡さ。もしこの生徒の言動で自分が助かった部分があるとすれば、この生徒へのムカつきが強すぎてイジメ野郎の事がどうでもよくなった事だった。

自分にとって最も信じられないのは、自分を「分かっている」側に置こうとする人だ。政治の話をしたって、イジメの話をしたって、他のなんの話をしたって必ずそういう人がいる。

自分のイジメ問題は上記の悶着後も続いたのだが(より巧妙に隠れて殴られた)、中学2年に上がる時、通っていた中学がマンモス化して生徒が増え過ぎた為、学区が二つに分割されて分校が出来、イジメ野郎は分校に通う事になったので顔を合わせる事が無くなった。元々理由もなく思い付きでやっていた事だから、わざわざ学区外の学校に足を運ぶほどの熱意はなかったのだ。こうしてイジメは1年で過ぎ去ったけど、この経験で「イジメ」の匂いには敏感になった。イジメ感覚は世の中のあらゆる場面に潜んでいる。本当にウンザリするほど何処にでも転がっている。今だってお前らの思い通りには動かねえぞと思っている。


 

2021年7月14日水曜日

変化と想像

最近の取り留めない雑感。

知り合いのSNS投稿で「当店は現金のお取り扱いは出来ません」と云う喫茶店が出現したと知り、ついにそこまで来たかと思う。自分は元々現金を持ち歩くのはなるべく避けたい方で、近年はコンビニの200~300円の買い物を除けば大抵カード払いで、最近ペイペイを使い始めたのでコンビニ買い物はペイペイになって殆ど現金での買い物はしなくなった。なので、現金の使えない店が出て来てもふ〜んって感じだし、現金取り扱いで生じる誤差が無くなる利点や、現在の状況(コロナ)を踏まえれば多くの人が触れて使い回される貨幣(物質的な)が無くなって行くのは当然な気もするけど、「今」に伴う変化を分かり易く感じる情報だった。人は大昔からこうやって様々な変化を体験しながら生きているんだなと当たり前の事を思う。

自分と同世代で子供の頃、近未来を想像した漫画やアニメを見た人は多いと思う。そのイメージも多分自分と似通っているはず。テレビ電話みたいにわりと近い形で実現しているものもあるけど、その殆どは今や時代遅れの未来像だった。なんと云うかとても物質的な変化ばかりを想像していたんだと思う。実際の変化は圧倒的に「情報」によるものだったけれど。

逆に云うと物質的な変化は思ったほどではなかったとも思う。そうか、、この「物質的」って云い換えるとアナログって事かも知れない。アナログ的なものって便利さによってデジタルがかなりの部分で取って代わったけど、アナログの良さと云う「価値観」は引き続き残っているよね。でもアナログ(物質的)変化は環境その他に対する負荷が大き過ぎて、僕らが子供の頃に見聞きしていた近未来像を実現させようとしたら、実現する前に世界は崩壊していたんじゃないかな。だから「変化」はデジタル技術の発展と共に別方向へ舵を切ったのかも知れない。これは単なる憶測か、、世の中ってもっと行き当たりばったりなのかな、、?

例えば明治〜大正〜昭和初期の変化を体験した人もその変化の度合いはスゴかった気がするんだけど、そう云う世代の人もなにやら近未来を想像したり、実際との差異に驚いたりしたのだろうか?、否、戦争もあったし想像を絶する変化と混乱だったはず。

でも人って幼い頃から有ったものを「当たり前」って思ってしまうよね。それらがなかった頃をつい想像し忘れてしまうし、変化に伴って無くなって行く事を受け入れるのが難しかったり。逆に無くなってほしいものが無くなるのは喜ばしい変化だよね。そんな様々な変化に伴う戸惑いや対応力不足に対して「着いて来れない奴はダメだとか、頭が固いのはそいつの勝手だ」とかで片付けてしまうのは違和感がある。考えても仕方のない事だけど。

話は変わって、7月17日(土)〜7月25日(日)まで鳥取のnigeと云うお店でイラスト展をさせてもらいます。 山陰地方で初めての展示になります。よろしくお願いします。

「西脇一弘 イラスト展 2021」
nige : 鳥取県東伯郡湯梨浜町旭 399-12-2F open : 11:00~17:00










 

 

 

 

 

 

I'm in your thought.
When you think I'm a flower.
You'd be funny.

私はあなたの思考の中に居ます。
あなたが私を花だと思うならば、
あなたは楽しいでしょう。

2021年6月22日火曜日

記憶の強度

 僕の父親は25年前の5月に59歳でポックリ亡くなった。'96年、僕は32歳であまりに突然の事で俄かに信じられなかった。けど要因がなかったわけではない。若い頃大酒飲みで且つ早朝から深夜まで働き詰めの会社人間だった父は30過ぎで身体を壊して長期入院した。その後少しは酒を控えるようになったが相変わらず仕事人間で何度か入退院を繰り返した。でも亡くなる前の数年はがむしゃらに働く事はなく酒は時々飲んでいたらしいけど穏やかな暮らしぶりだったので意外だった。

自分が幼かった頃は自分が起きる前に出かけて寝てから帰宅する父とはあまり接点がなく、なんとなく遠い存在だった。身体を壊して以降はそれまでより家に居る時間が増えて顔を合わせるようになったけど、口煩くて威圧的なので好きじゃなかった。中学2年の頃、父は再び体調を崩して倒れ暫く自宅療養していた時期があった。後になって思えばまだ40過ぎで仕事に力を注ぎたい気持ちだったけど身体を壊して思うようにならずイライラしていたのかも知れない。方や反抗期真っ只中の自分なので、毎日のように親子喧嘩で不仲は決定的になった。高校生になってからは自分の方があまり家に寄り付かなくなって、卒業後は都内で一人暮らしになって疎遠になった。その後は親戚の法事や弟の結婚式、その他役所への手続きなど必要がなければ顔を合わせる事もなかったので、ある日帰宅して留守電を聞いたら父が死んだと母からメッセージが入っていて心底驚いた。

そんな父親との思い出は喧嘩した事や子供の頃怒られてムカついた事などが殆どだけど、小学3年の頃になぜか父と二人で三重県の父の実家に車で行った事がある。当時島根県に住んでいたので島根〜三重を車で何時間もかけて往復した。父は37歳くらいだったのか、すでに最初の入院の後だったけど相変わらず働き詰めの日々で僕とはよそよそしい感じだった。長い道中僕は自分からは何も話しかけなかったと思う。父も「腹減ったか?」とか「便所に行ってこい」とか必要な事しか云わず、黙々と車を走らせていた。

アメリカほど広大ではないものの、田舎の国道は変化に乏しい単調で平べったい風景が続く。朽ちたセメント工場の脇にボロボロのミキサー車が停まっている、プレハブ小屋のような「お食事処」、寂れたガソリンスタンド、遠くに見える農家の蔵の屋根、延々と続くそんな風景をよそよそしい無言の車内で眺めながら思う。この風景の中の人々は皆自分と同じように所在ない寂しさを感じているのだろうか?

そんな朧げな記憶が現在の中でフッと鮮明に蘇る。 まるで昨日の出来事のような強度にたじろぐ。実際には50年近い歳月が横たわっているはずなのに。人の心は驚くほど変わらない。子供の頃、もしくは若い頃、人は見た目通りに内面も老成するものだと思っていなかったか?

肉体が老いても心は幼いままなのはなんとも酷な話だけどもそれが現実だ。 だから叶わない事だけど子供の頃の自分に云いたい。お前は老人になっても同じ気持ちのままいるのだと。大人や老人は皆見掛け倒しなのだと。そうしたらもう少しあらゆる事に寛容だっただろうか?父が死ぬ前にもっと語り合えた事があっただろうか?


 

2021年6月14日月曜日

おかしな事

相手から提案されたことに対して「それは⚪︎⚪︎⚪︎で***って事ですかね?」と訊ねたら、「はァ?何云ってんのかよく分からないんですけど、▷▷▷で◻︎◻︎◻︎って事ですよ?」と返されるんだけど、自分が訊ねた事と相手が返して来た事は同じ意味合いなので、自分としてはじゃあ自分が理解した通りで合ってたんだな、と思う。たぶん自分の云い方(説明)が分かり難かったんだろうと思って最初の2~3回は気にしないんだけど、その後も時々同じ事が重なると、この人は自分の云わんとする事を理解する気がないんだなと思う。「あ〜、またなんか訳の分かんないトンチンカンな事を云ってるよ、めんどくさいな」と云う判断で対応しているのが分かって来る。こう感じてしまうと途端にその相手との共同作業や協力関係に意欲を失ってしまい、結局関係は解消されるか途絶えるか、になる。相手の言葉を軽んじて自分の都合ややりたい事を通そうとするのは、対等な立場で共同作業をする相手にはしてはいけないと思う。

って事が自分は若い頃から時々あるのだけど、大抵の場合相手の方が自分より遥かに多くの人との良好な信頼関係を築いていて、社交的で気配りの行き届いた社会性のある人物なので、客観的に考えてみればきっと「オカシイ」のは自分の方なのだろうと思い至るのだけど、まあ仕方がない。その度に残念とは思うけれど、この通じ易さ、通じ難さはたぶん相性の良し悪しに通じるもので、どちらが良いとか悪いとか「正誤」とかで判断出来る事じゃないと思う。


 

2021年5月8日土曜日

メロディ

 最近ビートルズの曲をギターで弾いてSNSで連投している。ライブの機会がなかなかないので、自ずとギターを練習する時間が減って、このまま下手さに拍車がかかるのを少しでも食い止めようと考えた次第。それにしても今更ながらつくづくよい曲目白押し。

まだ20歳前頃、 友達がしみじみと云った。ビートルズの曲の凄いところは誰が弾いて歌ってもよい曲に聴こえるって事だと。確かにそうだ。演者を選ばない。だから自分のおぼつかない下手くそな演奏で聴いてもよい曲に聴こえる。だから弾いていて楽しい。これがアントニオ・カルロス・ジョビンの曲なんかだと自分が弾くと聴くに堪えない。演者を選ぶ音楽なんだね。でもブラジルの人はたぶんそうは思ってない。楽しく歌っていればいいんだって云うだろう。

音楽でも絵でも突き詰めればそれに尽きる。楽しければなんとかなってるんだよね。大した事をしようとか意気込むと楽しくなくなる。

ポコペンさんと昔話をしていてこう云う。「ビートルズって自分たちにもなにか音楽が作れるんじゃないかしら?って勘違いさせる力があったよね?私たちは勘違いしちゃってこんな齢になるまで続けちゃったわけよね?」、、、そうも云えるなと思う。なんだろう?不思議な影響力。明快で力強いメロディと快活な推進力。きっと世界中のたくさんの人々が勘違いしたんだよね。でも今の若者はビートルズなんて知らないんだろうな。

別に悪い事じゃない。



2021年4月12日月曜日

日々雑感

コロナ感染者が増えていて気掛かり。自分は引き籠り仕事だけど、ポコペンさんは販売員で電車通勤だし日々沢山の人に会っているので心配でいろいろ訊ねると、街の人出の感じや店の売り上げもほぼ元通り?になっていると云う。そりゃそうだよな、こんなに長く続いていれば無理もない。しかし今頃こんな事云ってるのもアホっぽいけど7月のオリンピックってやる気なんだ?、無茶過ぎる。

話は変わって、
噂話を好む人がいる。おばちゃんの井戸端会議みたいな派手なやつじゃなくて、もっと控えめで、こんな話あまりしたくないけど、、って体で語られるような。それを聞いてたいして知らない聞き手もその人を解ったような気になって評価分類する。洒落たカルチャー雑誌?(そんなの今もあるの?)に紹介されていたマニアックなアルバムを探して手に入れて悦に入って聴いている(本当に心を打つものかも知れないけど)、どこかのネット記事で今これを観ておかなきゃヤバいだろう?って煽られてやたらに混んでる大きな美術館に行って壮大なインスタレーションを観る(体験する)。与えられた情報に自分で手っ取り早く肉付けして対象を知った事にするのが今のスタンダードなのかも知れない。でも自分はなるべくそうではないようにしたい。もし心を打つアルバムに出会ったら毎日曲間の秒数までカウント出来るくらい聴き込む。持っているアルバムはこれ1枚かってくらいに。そうするとほんの少しだけそのアルバムが分かったような気がする。もし心を打つ絵に出会ったら同じ人が描いた絵を調べて少しでもたくさん観てみる。もし展覧会が行くのが可能な場所で開かれたら速攻で観に行ってくたくたになるまで何時間でも観る。そうしていると絵に描かれた湿度や匂いまで感じられるようになる。1人の人を知るのはもっと時間がかかる。30年以上の付き合いだって謎は深まるばかりで知っている事より分からない事の数が増えて行く。でもたぶん分からない事が増えた分だけ少し知り合えているのだと思う。云うまでもなく人生は短い。百億の情報を得て千人の友達を作るのが望みの人はそうすればいいけど、自分は2~3の音楽と絵、1人と云うとちょっと格好付けてるようだから2~3人の人と知り合えれば十分だし、それだって時間は全然足りない。

話は変わって、
相変わらず部屋で絵を描く毎日。自分にとって簡単に出来る事なんて何もないので、当然絵を描くのも毎日「難しいな〜」と思っている。座標?と云うか視点?、が動かない(ブレない)で描くのはとても重要で、そして難しい。絵について語る時よく「デッサンが上手い、得意」とか云う。これは観たものの形、輪郭を正確に捉えて描く能力みたいに云われる事が多いけどホントはもっと広義で、画面を構成(構築)する能力だと思う。視点がブレない事は安定感のある画面を作る上で大切だけど、気付くと結構ブレていてその度に修正する。もちろんわざと視点をズラしたり、動かしたりするアイデアや技術もあって、それによって不安定で緊張感のある画面を作るテクニックもあるけど、自分は安定感のある静かな画面を目指して描いている事が多い。

思えば20代の頃から今に至るまで、目に留まったものや思い浮かんだアイデアを何度も描いて練習して来たけど、結局視点を動かさないで手を動かす練習だったのだと思う。と云うわけで相変わらず日々練習。やはり人生はリハーサルみたいなものかも知れない。いったいなんの為の??


2021年4月3日土曜日

すっかり春めいて

最近ネット記事を読んで「ふ〜ん」と思う事が多い。いよいよヤキがまわってるのか?

先日「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す恐ろしい未来、と題した文章を読んだ。やはりもっともらしい事が書いてあるけどあまりピンと来ない(検索すればすぐ見つかると思うので興味のある人は読んでみてください)。映画を早送りで観るのはビデオ時代だって倍速で観てるって知り合いは居たし、無駄を嫌うのも、手っ取り早く「何者か」の顔をしたがるのも若者の特徴であって今に始まった事じゃないし、そう云う世相を切り取って嘆く文章が横行するのも昔から変わっていない。ただ時代の流れによって表面的なスタイルが変わってるだけと云うか、観るべき、聴くべき、知るべき対象が物凄い勢いで増え続けているので対応の精度やスピードに変化が生じている。で、自分みたいに鈍臭くてのんびり構えたものは若い頃だってそのスピードに置いてけぼりを食って、まあいいか、自分のペースで勝手にやるだけだと思っている。

でも若者に対して記事の内容と近い印象を自分も持っている側面もある(自分の狭い交流の中での事だから皆がそうだとは思わないけど)。「知らない」「分からない」って言葉を云わない人が多いなとは思う。自分は若い頃も今もよく云う(云いすぎ?)ので不思議なんだな。きっと若者は情報過多で物知りなんだろう。相手を論破する事へ執着心は確かに自分が若い頃の友人達より最近の若者は強いなと感じる。でも自分にはあまり関係ない事だと思っているな。情報をインプットしただけの知識には興味ないから。

記事の主眼はたぶんこの一節に集約されている。「(若者は)てっとり早く、短時間で、「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」と思っているという」

でも人ってそんなに単純じゃない。こんな風に一絡げにして片付けられるはずはないんだよね。まるで誰かに聞いて来たかのような云い方だけど誰に(何人に)聞いたのだろうか?

この記事には「言外の意味が汲み取れなくなる」と云う副題が付いていた。こんな感じで極論に結び付けて記事をひとつでっち上げるのって難しい事じゃない。 先日の記事もそうなんだけど毎日なんとなくSNSを斜め読みしていれば誰でも書けちゃう内容だと思う。でもこう云う記事に需要があるって事なのか、。自分も読んでるけど。、、やはりヤキがまわってるな。

あ、でも別にいいんだけど、仕事で書いてるんだから。


 

2021年3月27日土曜日

出来た事、出来なくなった事、これから出来る事

最近SNSにsakanaの20~30代の頃に作った音源を連投していた。 実はどこかのレーベルが興味を持って再販してくれないだろうか?と云う気持ちが薄っすらあった。そして実際2~3のレーベルが連絡をくれてライセンスの条件等丁寧に説明してくれたのだけど、原盤を自分たちで管理していると思っていたようで、以前リリースした時のレーベルの元にあるので連絡してみてほしいと伝えた。でも結局スムーズに借りられなかったのだと思う。それっきり連絡はない。

自分たちの旧作品が拙いものなのは分かっているし、残すべき価値があると思っているわけではないけど、今聴けばそれはやっぱりその年齢の時にしか作り得なかったものだと思うし、作った後何度も繰り返し演奏して来た曲には愛着がある。自分は他の音楽家から一緒に演ろうと誘われる事は殆どなかったので自分の音楽歴はほぼsakanaだけ。結局自分で立ち上げたバンドで音楽する以外なかっただけなんだけど、それに唯一ずっと付き合ってくれたのはポコペンさん。そしてこの年齢になってそんなsakanaの音源の大半が廃盤状態で放ったらかしなのはとても残念に思う。若い頃は自分がこんな事感じるようになるとは全然思ってなかったけど。

今だって自分にとって最良の作品はこれから作る作品だと思っているし、(前にも書いたけど)そう思わなくなったら音楽も絵も止めてしまうと思う。でもその反面で以前やった事はもう出来ないんだなとも思う。 先日SNSでこんな投稿を見かけた。「もちろん例外はあるけど、アーティストの代表作は10代から30代くらいに作られたものがほとんど。経験や技術は上がるはずなのに、やはり若い時にしか出ない「気」のようなものにはかなわないのだろうか」

たぶんこれは確かな事で名画を例に挙げるとその多くが30代半ば頃の作品だったりする。そして経験、技術、知識、気力のバランスが取れた最も充実した時期と説明される。自分たちの過去作品を引き合いに出すのはおこがましいけれど、でも今の自分達にとってそれは戻る事の出来ない状態の産物なのは確かで、大袈裟に聞こえると思うけど子供を持たなかった自分には子供みたいなものだと思う。無論出来の悪い子供だけど。こんな事云うと子供を持っている人に「お気楽な事をぬかしてやがる」と怒られそうだけど、子育ての大変さと同じだと思っているわけではありません。

まあそんな訳で過去の作品を可能な分だけでも興味を持ってくれた人に届く状態にしておきたいと思う。40歳過ぎて作ったアルバムだけど、2003年作の「Sunny Spot Lane」と2006年作の「Sunday Clothes」をBandcampでリリースしました。どちらも若い頃に作ったアルバムよりプライベートでラフな作品だけどよかったら聴いてみてください。

https://sakanarecords.bandcamp.com/album/sunny-spot-lane-2

https://sakanarecords.bandcamp.com/album/sunday-clothes

旧い音源を久しぶりに聴くと、当たり前だけどその頃の出来事をいろいろ思い出す。そのうちバイオグラフィ番外編でも書いてみよう。


2021年3月18日木曜日

10年経って

たまには絵を描くことについて。
中学、高校の美術の時間に何か絵を描かされて先生が「最初からちゃんと描こうとしてはダメだ、大まかに描いて行き少しずつ整えながら細部を描いて行くように」と云われた覚えがある人はたぶん多いと思う(少なくとも自分と近い世代なら)。自分も何度も聞いた覚えがあるし、その教えは当たり前のように刷り込まれた。だから20歳過ぎて「絵を描いてみようかな」と思い立った時もその教えは念頭にあったし、わりと近年までそれは自分にとっての「当たり前」だった。でもあまりこの教えを鵜呑みにしない方がよいと今は思う。確かに最初からイメージした通りの描写、色味を実現しようと思っても上手くは行かない。鉛筆画やペン画ならば一部を綿密に描き込みながらその範囲を広げて行くような描き方も可能だしそうしている人をよく見るけれど、絵の具を使う場合は少しずつ塗り重ねて行くことでイメージしている描画に近づけて行くしかない(薄塗りのザックリ描画を完成形として描く場合もあるけれど)。

で、そうやって最初はラフに徐々に細部を、、と作業を進める場合でも最初から一筆毎に完成形のイメージを持って細心の注意を払うべきで、最初は安直に描いてよいわけではない。最初の一筆を置く作業の影響は結局完成形まで残るから。僕はたぶんこの事が身にしみるまでに35年くらいかかってしまった。もっと早く気付けばよかったのだけれど。

この最初は大雑把に、徐々に丁寧に仕上げて行く、と云うのは絵に限らず音楽やデザインその他なんでも行われる手順で、パソコンでのデザイン作業など手前の作業を完全に上書きしたり、後戻りしたり出来る手法の場合は有効だと思う。でも手で絵を描くと云うアナログ作業においては完全な上書きや後戻りは不可能。

話は変わって先日震災から10年経ってSNSはその話題がたくさんだった。もちろん自分も振り返るしあの日の光景や混乱は今も生々しく覚えている。それまで「疑っているつもりだった」けど心のどこかで根拠もなく信じていた事が、まるで実態のないハリボテみたいなものだったと見せつけられて、世の中も自分自身も動揺した。大雑把な云い方だけど「安全や安心が考慮されているシステムの中で生活を営んでいるはず」と云う盲信が危険なんだって事に自分を含め多分たくさんの人が気付いた(ホントはずっと以前からそれに気付くべき実例はたくさんあるんだけど)。そして人は絶望したままでは生きられないから何か(何処か)に希望を繋ごうとする。自分は何を拠り所にしているのだろう?今でもそれを考えると途方に暮れてしまう。でも自分は今まで続けてきた事を営み続けるしかないんだよね。それが自分のしたい事だから。

ネットでとある社会学者の人の著書宣伝の為の記事を読んだ。「この10年で3つの事を諦めた日本の盲点」と題した記事で理路整然と正論が並ぶ内容は成る程と思うと同時に、どの言葉も全然自分の心に届かない事が不思議でもあった。なぜだろう?よく分からない。幾つか以下に引用してみますが、検索すればすぐ見つかると思うので興味がある人は全部読んでみてください。って云うか宣伝してる本を買わないと核心は分からないけれど、。 でも「見て見ぬ振りをして過ごしていこうとする」構造にはまり込んでいる、そこに盲点があるということです」って云うのは、自分は違うと思うけどな。

いずれにせよ、極端で単純化された言説が「言説市場」の競争の中で勝ち残りやすい状況はますます加速しています。

「『変わるべきだ!変わるはずだ!』と唱えてさえいれば変わるに違いない」という幻想が、絶対的に「変わらない」強固さをもっているということ。これが、あの3.11直後の当時から明らかだったわけです。

事実を見る、現場を見る。それを怠り、見たいものを見て、聞きたいことを聞き、一方的に断罪・糾弾できる敵・悲劇を見つけてはそこに殺到する。

そして、「知識」も必要とされなくなっている。ここでいう「知識」とは、断片的な情報を体系的に組み合わせ、またその獲得に向けた意思と経験への意思が不可欠なものを指します。例えば、何かのプロ・職人が熟練の過程で身につけるもののようなものですね。そういった意味での「知識」を前提とした言説は成立し得なくなる。そうなれば、すでに政治的・経済的資源を得ている人々が持っているような"あらかじめ獲得された立場"が複雑な物事を決める主たる要因となっていくでしょう。

でも逆説的に「知識っぽい情報」は増えているという実感がある人もいるでしょう。とにかくわかりやすく解説することに心血を注ぐテレビや、YouTuberのテロップカルチャー的なものだったり、逆にひねくれたペダンチックなものの見方がバズったりして、なんか新しいこと言っている感をそこに求める層がいることとか。

一方には、「わかりやすさ・理解しやすさ」をひたすら拡大しようとする無限運動がある。他方に「わかりにくさ・理解しにくさを楽しもう」というニッチで「高尚な知的趣味」が存在する構図がある。両者に共通するのは、「知識」が必要ない、ということです。

「わかりやすさ・理解しやすさ」というのは、ある情報の体系のパッケージ部分だけを手短に理解する、あるいは、理解したつもりになれることを志向する。それに比べて「わかりにくさ・理解しにくさを楽しもう」という態度は、一見知的なようでいて、「知識」の有無を放棄することに接続してしまっている。

「事実を見る、現場を見る。それを怠り、見たいものを見て、聞きたいことを聞き、一方的に断罪・糾弾できる敵・悲劇を見つけてはそこに殺到する」ような、言葉のゲームが反復されるようになります。そこには「何かやってやったぞ感」と徒労だけが残り、社会の変化は何も起きずに時間が経過していくことになる。

「あってはならぬものを見て見ぬ振りをして過ごしていこうとする」構造にはまり込んでいる、そこに盲点があるということです。目の前の問題を棚上げせず、直視して向き合えるのか。3.11から10年のその後が問われるのはこれからです。


 

2021年2月25日木曜日

発想の着地点

前回の続きみたいだけど、サーバーの解約申請をしてから慌てて新しいサイトを作った。結局旧サーバーの解約は来月末になるそうで、まだしばらくは旧サイトも残っている(サーバーにアクセス出来ないのでファイルを削除出来ない)けど、新しいサイトを公開しました。URLは以下です。まだ不備が多くて暫定的な状態だけど、少しずつ改良して行きます。よろしくお願いします。
https://www.kazuhironishiwaki.net/

新しいサイトを作らねばと考えた当初、面白いものにしたいなと妄想が膨らんでCSSを覚えようと思ったけど、あまりに面倒そうなのであっと云う間に挫けた。結局wixと云う簡易な土台を借りて作ったので楽チンだったけど、がんばって取り組めば面白いものが作れそうな気がする。現在のこう云うサービスってスゴいんだなと今頃になって驚いている。ネットの普及が急速に進んだ1998〜2000年頃、それまでデザイナーや編集者みたいな仕事をしていた知り合いが何人もhtmlを書けるようになろうと勉強していた。近々紙媒体の仕事がなくなると云って。確かにそうだったけど、今となってはこんなサービスがあるのだからウェブデザイナーも大変そうだな、って思うのも遅いのか。ネットは2008年頃?から現れたスマホの普及で更に色んな変化があったと思うけど、自分にとってこの10数年は未知のまま。でもたいして気にしていない。自分の生活ややっている事にはネット以前も以降もそれほど変化がないからだと思う。少し使う道具が増えただけ。

話は変わって、何度か経験した事のあるフォーマットで絵を考える(例えばCDジャケットとか)場合は描いた絵がCDジャケットになったらどんな感じに見えるかが経験によってある程度想像出来るけど、未経験のフォーマットの場合はそれが見当付かないので、なんとなく着地点が曖昧なまま答えを探しているような煮え切らない状態で発想しようとあれこれ思い悩む。そんな時は「これはやってみたってどうせダメだ、何も面白いことは起こらない」と思っているアイデアを実践してみると意外にもそこからパッと視界が拓けたりする。そんな大層な事をしようと思っているわけじゃなくてとても些細な事、でもそれが出るか出ないかは自分にとっては大問題。 そんな事を実感したここ数日だった。自分の日常は長年に渡ってそんな事の繰り返し。アイデアが出ない時は寝ている間もどうしようか?と考えている。出た後の2日間くらいはよく眠れる。そしてまた繰り返し。

ポコペンさんも作詞をしている時などは同じ状態だと思う。そうやって相手がうんうん唸っている時は何も云わずにそっとしておく。それしかない事を知っているから。長い年月をかけたって理解し合える事なんてそんな程度。相手を丸ごと理解しようなんてあり得ない。だから分かり合えるところが大切なのだね。


 

 

2021年2月16日火曜日

小石

 先日若い頃の母と幼い自分の写真を投稿した後、数年前の個展を観に来てくれた母と一緒に撮った写真をパソコンのフォルダから見つけた。確か母が「80歳になったよ」と云っていた頃。面影なんか微塵もなく変わったように思うけど、こういうことって自分では分かり難いものだと思う。側から見れば面影があったりするのだろうか?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は変わって、小さな事柄だけど理不尽だなと最近感じたこと。1月末から突然ポコペンさんと自分のホームページ用に借りているサーバーに接続出来なくなった。スケジュール等を更新する為にftp接続を試みるのだけど何度やっても繋がらない。パスワードやその他設定は何も変更していないのでサーバー側の問題だと思う。レンタルサーバーのヘルプセンターに連絡を試みるものの、電話は混み合っているのアナウンスが返って来るばかりで、1日に何度電話しても繋がらず、チャットやメールの窓口に連絡しても応答がない。しかし数日後に漸くメールの問い合わせに返信があり、原因を調べるからアップローダーアプリのエラーメッセージのスクリーンショットを送ってくれとか、アプリはなんなのか?とかパソコンのOSは?とか色々訊かれてそれに詳しく答えた。しかしその後全く応答がなくなって10日以上経っている。そして今日はそのレンタルサーバーから今月分の請求メールが来た。まだ使えていた期間の請求だし、別部門でヘルプセンターと請求メールには何の関係もないのは分かるけど「雑」なものだなと思う。こんな対応を個人経営の小売店がやっていたらあっという間に潰れてしまうはず。もうこのサーバーは解約しようと決めたのでどうでもいいのだけど。 

なのでもしホームページをチェックしてくれている方がいたら、そのうちURLが変更になって今までのサイトは見れなくなると思います。新たなURLが決まったらまたお知らせします。

こんな風に小石に躓く程度の理不尽はその辺にゴロゴロしている。

追記:上記サーバー不具合の件、結局ヘルプセンターに何度も回答を催促したにも関わらず応答なしで、不具合はそのままなのに今日はヘルプセンターの対応に対するアンケートが送られて来た。あまりに酷い対応に唖然としている。催促に対して何の応答もせず、問題は放置したままなのに「解決済み案件」として処理したわけだよね。些細な理不尽とは云えこんな事がまかり通るものなのか???


 

2021年2月4日木曜日

語り口

相変わらず引き籠って絵を描く時間が多い日々。

緊急事態宣言が延長になってライブの予定が延期になり、現時点では具体的なライブの予定がひとつもないのが寂しい。なにか予定を入れられるように考えよう。

オリンピック開催を巡って会長の不適切発言がSNSで話題になった。ホントに云ったのか?とにわかに信じられないような無神経な内容。

でもこう云う発言が公の場で平然とされていた時代ってあったよな、と自分は覚えがある世代。もちろんその頃だってこんな事云う奴はクソ野郎だと思ったに違いないんだけど、こう云う「物言い」が当たり前だった時代は確かにあった。この「物言い」って、もっと細かな日常の会話にもあって、だから若者からすれば「おっさん、おばさん」連中は皆無神経でズレてるって事になったりするよね? でもそれは心根で「無神経でズレてる」かどうかではなくて言葉の選び方「語り口」が問題の場合も多い思う。

あと、若い頃に何かしら成功をおさめた人やとても充実した楽しい時期を過ごした人の方がその時代の「語り口」に囚われ易いような気がする。へんな云い方だけど社長っぽいって云えばいいのかな。

以前には当たり前だった無神経だったり偉そうだったりする物言いが、時代の変化、モラルの変化に伴って、無神経な問題発言になるのは善い事だと思う。そんな「当たり前」の中で傷つきながら歳を取って来たおっさんもおばさんも老人もたくさん居ると思うし。でも同時に歳を取れば余程意識していない限り、世の中の動きや常識に疎くなるのは仕方がないとも思うけど。

「問題発言」を単純に時代や年齢や時代錯誤の所為にし過ぎてはいけないと思うんだな。それはその人自身の人間性、価値観の問題。そうじゃないと過去をただ貶めるだけになってしまう。それにしても、83歳で第一線で采配を振るうのはどうかしてる。 

話は変わって、2月6日(土)〜2月14日(日)まで大阪のnoji+でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2021 @noji+ 

noji+:大阪府池田市鉢塚1-10-3-201



 

2021年1月23日土曜日

写真

僕の父親はサラリーマン一筋の仕事人間で特に趣味はなかったと思うけど、車を持ち、様々な家族内の出来事を写真に撮って保存する、と云う当時の昭和的家庭人が大抵やる事を同じようにやっていたので、25年前に他界した時かなりの量の古びたアルバムを遺した。そしてそれは生前父が使っていた押入れに入ったまま誰も見ようとせず放って置かれた。

しかしこのまま放っておくわけにも行くまいと思い、先日ようやく引っ張り出して中身の確認作業をした。幼少の写真なんて他人から見たらふ〜んってものだと思うけど、自分にとっては相応の破壊力。僕は子供の頃の写真を大人になってから(少なくとも20歳過ぎてから)は1度も見た事はなかった。勉強はまったく出来ずイタズラばかりして怒られている典型的なアホガキだったので見たいとも思わなかった。見てもその通りでしかないんだけど、自分がこんなに幼かったと見せつけられるのはこの歳になるとそれなりに感慨深い。

しかし自分の写真以上にズッシリと重かったのは母親の若い頃の写真。まだ結婚したばかりで自分が生まれる前の母親は、現在85歳の母を見慣れている自分が「知らない人」だった。きっとこの後、子供を持ち生活を営む中でどれだけの事を諦めて赦して来たのだろう?と思わずにいられなかった。

こうしてアルバムを整理していても、父親と仲が悪かった母は全く興味を示さず見ようとはしない。もうそれでよいと思う。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6歳の頃。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学1年か2年生、一緒にいるのは弟。なんでこんな自転車に乗っているかは不明。僕は毎日バスケット部の朝練の為、朝5時半に起床して夜は9時過ぎると寝てしまう超朝型生活だった。日焼けして、毎日15kmのランニングを強いられ20km程度のランニングは苦ではなかった。今とは真逆のライフスタイル。でもこの頃すでに洋楽に夢中でロックバンドを聴き漁っていたので爽やかなライフスタイルは間もなく崩れ去る。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 23歳頃の母。着ているものが現在のユニクロでも売っていそうなものだ。


 










 

 

 

 これはかなり時代がかった服装。












 

 

 

母は今でもたまにこんな顔をする。

 

2021年1月15日金曜日

忘れもの

ネットでこんな記事が目にとまる。

「どこで読んだだろう。アフリカの、普段すごい長距離を歩いて移動している部族のひとたちを車に乗せてあげたところ、目的地で一同しばらく放心していたという。どうしたのかと訊いたら「魂が追いついてくるのを待っているのです」と。実は、我々みんなに当てはまる話なんじゃないかと思ってる」

そう云えば随分以前にもどこかで全く同じ内容の記事を読んだなと思い出す。まだ20代でネットも携帯電話も普及する前だったけど同じように心に残った。 別に生活が新たな便利品によって変化するのを批判するつもりなんてない。今更無かった時代に戻ったら、不便を感じて仕方が無いはず。バカみたいだけど今はいい時代だなとも思っている。昔は好きな音楽家の演奏映像が観たいために新宿外れの怪しげな海賊盤屋に行って数千円を払ってあり得ないほど低画質なビデオテープを観る羽目になったりした。

でもそんな便利さは凄まじいスピードで世の中を駆け巡る情報の中から自分に必要なものを見極めて掬い取る為の反射神経を要求する。誰もが理解し反応するスピードを求められて「早い」が美徳の一つになり、若者は得意顔で端末を手早く操作する。皆が瞬時に理解出来るものを求め、そうではないものは瞬く間に無用になって行く。そうやって獲得した「余暇」で人々は何をしてるんだろう?でも「暇」はたぶん最高の贅沢品。

自分たちはそんな発展の中で、いったいどれだけの言葉や関係や認識や理解や記憶や「心」を置き去りにしたのか?「その事」を忘れない方が善いと行き場を失って迷走し続ける世の中が物語っている気がする。

もう少し考える暇がほしいと思うんだよね。