2021年7月14日水曜日

変化と想像

最近の取り留めない雑感。

知り合いのSNS投稿で「当店は現金のお取り扱いは出来ません」と云う喫茶店が出現したと知り、ついにそこまで来たかと思う。自分は元々現金を持ち歩くのはなるべく避けたい方で、近年はコンビニの200~300円の買い物を除けば大抵カード払いで、最近ペイペイを使い始めたのでコンビニ買い物はペイペイになって殆ど現金での買い物はしなくなった。なので、現金の使えない店が出て来てもふ〜んって感じだし、現金取り扱いで生じる誤差が無くなる利点や、現在の状況(コロナ)を踏まえれば多くの人が触れて使い回される貨幣(物質的な)が無くなって行くのは当然な気もするけど、「今」に伴う変化を分かり易く感じる情報だった。人は大昔からこうやって様々な変化を体験しながら生きているんだなと当たり前の事を思う。

自分と同世代で子供の頃、近未来を想像した漫画やアニメを見た人は多いと思う。そのイメージも多分自分と似通っているはず。テレビ電話みたいにわりと近い形で実現しているものもあるけど、その殆どは今や時代遅れの未来像だった。なんと云うかとても物質的な変化ばかりを想像していたんだと思う。実際の変化は圧倒的に「情報」によるものだったけれど。

逆に云うと物質的な変化は思ったほどではなかったとも思う。そうか、、この「物質的」って云い換えるとアナログって事かも知れない。アナログ的なものって便利さによってデジタルがかなりの部分で取って代わったけど、アナログの良さと云う「価値観」は引き続き残っているよね。でもアナログ(物質的)変化は環境その他に対する負荷が大き過ぎて、僕らが子供の頃に見聞きしていた近未来像を実現させようとしたら、実現する前に世界は崩壊していたんじゃないかな。だから「変化」はデジタル技術の発展と共に別方向へ舵を切ったのかも知れない。これは単なる憶測か、、世の中ってもっと行き当たりばったりなのかな、、?

例えば明治〜大正〜昭和初期の変化を体験した人もその変化の度合いはスゴかった気がするんだけど、そう云う世代の人もなにやら近未来を想像したり、実際との差異に驚いたりしたのだろうか?、否、戦争もあったし想像を絶する変化と混乱だったはず。

でも人って幼い頃から有ったものを「当たり前」って思ってしまうよね。それらがなかった頃をつい想像し忘れてしまうし、変化に伴って無くなって行く事を受け入れるのが難しかったり。逆に無くなってほしいものが無くなるのは喜ばしい変化だよね。そんな様々な変化に伴う戸惑いや対応力不足に対して「着いて来れない奴はダメだとか、頭が固いのはそいつの勝手だ」とかで片付けてしまうのは違和感がある。考えても仕方のない事だけど。

話は変わって、7月17日(土)〜7月25日(日)まで鳥取のnigeと云うお店でイラスト展をさせてもらいます。 山陰地方で初めての展示になります。よろしくお願いします。

「西脇一弘 イラスト展 2021」
nige : 鳥取県東伯郡湯梨浜町旭 399-12-2F open : 11:00~17:00










 

 

 

 

 

 

I'm in your thought.
When you think I'm a flower.
You'd be funny.

私はあなたの思考の中に居ます。
あなたが私を花だと思うならば、
あなたは楽しいでしょう。