2021年9月6日月曜日

選択の自由

現在使っているパソコン(マック)は2009年製、10年を超えるとさすがにOS対応的限界で新しいブラウザは入らず通信機器としては不具合が多くなって来る。ア*ゾンプライムの再生が厳しくなってそろそろ買い替えを検討しなくてはダメだろうかと思い始めた。新しいデジタル機器のスペック等には殆ど興味なく、新たな機器を再設定する面倒や、云うまでもなく金がかかる事も嫌なので本当に渋々なんだけど。買い替えたとしたら良いなと思うのは現在のマックは録音専用に出来る事くらいだろうか。DTMアプリが新しいマックには入らないので。

なんで10万円以上するような機器を最低でも10年に1回は買い替えなきゃいけないのか?と当然思うわけで、「搾り取られてるな」感は否めない。日々働いて稼いだ金をしっかり使わされてまた働いて高い税金を払い、また働いてささやかな娯楽に浪費して、の繰り返しは、誰に操られているんだろう?って思うのは当然だけども、人生をそのシステムに絡め取られる事から抜け出せる人は稀だよね。だからSNSに政治への不満が溢れているのも、世の中はごく一部の支配層によって危ういバランスを保っていると陰謀説を唱える人が居るのも当然と思うし、テレビドラマだってもっぱらそんな設定内容のものが多いけれど、突き詰めれば「人間」をどう捉えるか?って話だと思う。

人類の歴史を殺戮と搾取の連続と捉えてそれに引っ張られる人もいれば、基本的に人は「善いもの」だと考える人もいる。信じたくないものを「本当」だと思って絶望するのも厭世的になるのも勝手だし、「善いもの」を信じようと腹を括る人もいる。別の見方をすれば何かを信じさせてくれるのを待っている人もいれば、何かを信じようと積極的に行動する人もいると思うのだ。別にどっちが正しいとか善いとか云うつもりはないけども。

自分も物事の表面を鵜呑みにするのは恐ろしいと思うし、小心者なので色々疑ってかかるところはあるんだけど、でも人は「善いものになりたいものだ」と信じる事に「ある時」自分の意思で決めた。

僕は若い頃からずっと音楽と絵をやっていて、これからも続けて行こうと思っているのは、音楽と絵は自分にとって単純に楽しくて「善いもの」だからだ。もちろん悪意を込めて作られた音楽や絵もたくさんあるだろうけれども。

結局どっちを選ぶか?だと思う(無論あらゆるグレーゾーンを含む前提での話だけど)。物事を悲観的に残酷で醜く理解しようとする人が賢いとは、自分は全然思わないけどね。