2020年7月28日火曜日

お手本がない事

来月のイラスト展に向けて相変わらず部屋で絵を描く毎日。以前にも書いたけど僕は美大や専門学校で絵を学んだ事はない。いつも自分なりに頑張って描いてはいるけど、美大やその他で絵を学んだ人から見れば、ママゴトにすらなっていないようなものだと思う。若い頃は個展をするとたまたま通りかかった美大出(自称)の人から随分酷い事を云われたりしたけれど、まあ仕方がないと思っていた。20歳前からデッサンの訓練を積み、学校に入れば大勢の中で自分がどの程度かを思い知りながら研鑽を積んだ人から見れば、なんでこんなふざけた奴が個展なんか開いてるんだ?と思うのも無理はない。

でも仕方がない、本当に。先日も書いた通り僕は自分が機嫌よく生きていたいから絵を描いているだけだと思う。世の中で価値があるとされる絵が描きたいわけじゃない。最近よく聞く「生産性」はゼロに等しいだろう、こんなにたくさん絵を描いていても。それでも自分は自分でしかないんだよね。誰にも決められない。

僕が絵を描くのに使う紙はターポリン紙と云う梱包用の紙で90cm幅/30mのロールが1,500円で買える。そして水性ペンキとアクリル絵具を併用して描いている。世の中には同じような事をしている人はいるかも知れないけど、自分は金がないので安く材料を揃えるために30歳になる頃から使うようになった。使い始めた当初はなかなか思うように描けず、いろいろ試行錯誤をしながら今に至っている。だから自分なりの手順や描き方は少し出来ているとは思うけど、美大で教わるような絵具の扱い方とはかけ離れているだろう、たぶん。

別に「独自な事」がしたいとは思っていないし、いろんな事から影響を受けていると思うけど、お手本がない事を手探りでやるのは楽しいし性分にあっているのだと思う。音楽も同じ。他人がどう思うかを必要以上に気にするのはつまらない。もちろん発表する以上楽しんでほしいとは思っているけれど。

ちょっと違う側面から考えると、絵や音楽は自分にとって、ネコや鳥、動物みたいなものかも知れない。動物は食べ物をくれるとか可愛がってくれるとかシンプルで真っ直ぐな要求と理解があるだけで、相手が誰であっても愛する事が出来る。絵や音楽は力を尽くして取り組めば自分みたいに才能なんて微塵もない者にも絵を描いたり音楽を奏でる喜びを感じさせてくれる。

愛する為の条件をあれこれ設定して、選ぶとか選ばれるとか不遜になったり卑屈になったりするのは人間だけだよね。でもそうやってあれこれ考えたから、人間は「弱くても食べられない(殺されない)」社会を作ったのだけども、。でも最近はその社会が随分危うくなっている気がする。

話は変わって8/3(月)~23(日)まで、quatre saisons 町田店でイラスト展をさせてもらいます。小さなイラストを多数展示します。よかったら足を運んでみてください。

「西脇一弘 イラスト展 2020」
quatre saisons 町田:東京都町田市原町田6-1-11 ルミネ町田店8F
http://www.quatresaisons.co.jp/shop_list/id=142



2020年7月10日金曜日

久しぶりのライブ

雨続き。九州、その他の地域の被害が広がらないように願います。

緊急事態宣言が解除されて以降、感染者数が増え続けて、引き続き外出を控える必要を感じている。先日知り合いとなんとなくの世間話をする中で、「若い人達はあまり気にせず出かける人が多いみたいですね、気にするのは30代後半〜、な印象です」と云う話を聞いて、そう云うものかもな、と思う。親が60歳過ぎる年齢〜とも云えるし、子供がまだ小さくて手のかかる年齢〜とも云える。無頓着でいられるのは若者らしさとも思うので批判はしたくないけど、他者への思いやりに欠ける行動にはあまり関わりたくないとも思う。でもよく考えれば年齢で区別出来るものではないな、やっぱり。その人個人の考え方の問題。経済活動しなくては生きて行けない、やりたい事を我慢するにも限度がある、でも感染防止に努めたい、等々、社会も個人もジレンマを共有している。自分はどうしたらよいのか分からず、オロオロするばかりだけども、今までとは違う考え方や行動が求められているのだと思う。

とは云え、先日は久しぶりにお客さんの前でライブをして嬉しかった。座席に距離を取り、演奏者の前には透明ビニールシートが掛けられ、店内は消毒液で丁寧に清掃されていて、お店の配慮は出来る限り行き届いていた。お客さんは休憩中も殆ど会話なく、終演後は速やかに帰って行った。自分自身はいつもとあまり変わりなかったので恐縮だけど、こうやって新たなやり方を引き続き模索して行きたいと思った。

話は変わって、相変わらず部屋に引き籠って絵を描く時間が多い日常。自分が描いている風景や人物には特定のモデルはない。でもその絵を描いている間は、毎日その「場所」に行き、その「人物」に会っているような気持ちで描いている。そうやって絵と深く関わる事は自分が絵を描くのに必要な事だと思っている。

世の中的な価値の話ではなく、自分にとってどれだけ大切か、と云う話。