2022年11月20日日曜日

晩秋

 晩秋は訳もなく寂しい季節。でも本当は訳はちゃんと有って、自分はいずれ死んでしまうんだな、言い換えれば、自分にとっては全ての物事はいずれ泡のように消えてしまうんだなと云う寂しさだと思う。万人に共通する事だと思うんだけど、そんな事ない人も居るんだろうか?

 じゃあ何がそんなに寂しいのか具体的に考えてみる。通い慣れた駅までの往復を歩けなくなるのが寂しい、時たま食べる好きなものをもう食べられなくなるのが寂しい。何の理由もなく友達が作れた若い頃に出会った旧い友人に会えなくなるのが寂しい。新たな音楽を聴く楽しみがなくなるのが、もうギターを弾けなくなるのが、あれこれ悩みながら絵を描き上げる喜びがなくなるのが寂しい。沢山あるけれどやっぱりいつも一緒に過ごした人と、もう笑い合えなくなることが1番寂しい。もし自分が死ぬ前日を、自分の好きなように過ごす機会が与えられたなら、自分は迷わずいつもと同じように台所の椅子に座って、たいして意味もない話やくだらない思い出話を延々と続けようと頼むだろう。本当にそれしかしなくていい。そして最期に「もう君に会えなくなるのが寂しい」と云うんだろう。突き詰めれば自分の人生ってたぶんそれだけなんだ。

もちろん色んな人達や物事への沢山の感謝も後悔もあるけれど、。そして絵を描いたり音楽を作ろうとしたりするのは、歩き続けるための杖みたいなものかも知れない。

 知り合いと話してると「もう自分らは終わり方を考える年齢に来てると思う」と云われてハッとする。でもそうだよな、まさしく人生晩秋の物思いなのだ。

話は変わって、
3年ちょっと前に以前自分がやっていたsakanaと云う音楽ユニットの30数年分のバイオグラフィみたいな長い文章をこのブログに書いた。全ては少なくとも自分にとっては経験した事実そのものだったけど、意識的に書かないようにしたある人物との関わりがあった。なぜならその人物との関わりを書こうとすると、別のバイオグラフィが一編書けてしまうくらい長くなるので、長尺煩雑になるのを避ける為にそうした。

もう今更興味のある人など居ないと思うし、特にどうしても誰かに伝えたい訳でもないけど、折角7~8割方のバイオグラフィを綴ったのに、中途半端な状態なのが自分にとってスッキリしないので、上記の書かない事にした諸々を「番外編」として書いた。明日(11月21日)午後に更新します。でも楽しい内容ではないし、とても長いので関心がなければ読まない方がいいと思います。

また話は変わって、
12月3日(土)〜12/11(日)まで代々木上原のLittle Nap COFFEE ROASTERSと云うお店でイラスト展をさせてもらいます。久しぶりの都内での展示になります。お近くの方は是非足を運んでみてください。

最終日11日(日)夜には、石井マサユキさんとのギターデュオ、westoneでライブをさせてもらいます。詳細は後ほどSNS等でお知らせします。

よろしくお願いします。

​「西脇一弘 イラスト展 2022」
Little Nap COFFEE ROASTERS:東京都渋谷区富ヶ谷2-43-15
open 9:00-19:00
phone 03-5738-8045



 

 

 

 

 

2022年10月3日月曜日

秋近し

愚痴だと誤解されたら嫌なので先に書くけど、これは愚痴ではなくて単なる理解。

相手から何かを訊ねられて、回答がネガティブな場合返信がない事が自分はわりと多い。例えば「いつ何時ライブしませんか?」と誘われて「予定が入っているので出来ません」と返事した時、それっきりと云う感じ。 

必要な情報交換は済んでいるから何も問題ないし、別に腹を立てているわけでもないけど、「あ〜、そう云う相手なんだな」って自分の中で相手に対する位置づけみたいなのは決まると思う。自慢するわけでも他人にも同じようにして欲しいと望むわけでもないけど、自分が誰かに何かを頼んだ場合は相手が誰であっても、返事の可否に関わらず検討して返信してくれた事に対する礼は返す。それが自分にとって当たり前の事だからに過ぎない。

ここで思うのは「相手になめられるか否か」が行動原理になっている人が世の中には結構多いなと云う事。自分のような振る舞いは真っ先になめられるのだろうと若い頃から理解はしてるけど変えられない、なんでだろう?例えば店を経営してる人だったら、何でも客の云いなりにはならないぞと云う表明かも知れないし、。「なめられる事が」生活のかかった仕事に支障をきたすとなれば、そりゃ誰だってそうならないように考えるよね。

自分の場合は絵を描くのが一応生業で、描いた絵を観ればそれがどの程度のものかは一目瞭然なので取り繕いようがないから「なめられないように」って行動原理に行き着かないのかも知れない。あと相手によって態度を変えるってのが自分は単純に好きじゃない。

話は変わって、先日またひとつ歳を取った。いつの間にか、父親が亡くなった年齢と同じになってしまった。以前にも父親の事は書いた事があるので繰り返しになるけど、父親とは子供の頃からあまり折り合いがよくなかったので、高校卒業して家を出てからは疎遠なままだった。たいして腹を割った話をする事もなくあっけなく居なくなってしまった。そんな我儘で身勝手な子供を持って、今の自分と同じ年齢だった父親は何を思っていたのだろうか?この年齢になればあらゆる能力は下り坂で、自分がどの程度のスキルしか持っておらず、詰まらない事にくよくよする侘しい人間だと知っているし、だからささやかな人との繋がりや交流がとてもありがたく感じるものだと思う。父親は近所に買い物に出かけた際に道端で倒れて突然死だった。本人も自分がまさか死ぬなんで全く思っていなかったはず。それが救いだなと思う。「自分はもうすぐ死ぬのかも知れない」と思いながら独りで寂しく死んで行ったとしたらやりきれない。

話は変わって、徳島県の櫻茶屋でのイラスト展がおかげさまで無事終了しました。 足を運んでくださった皆さん、気に留めてくださった皆さん、お世話になった方々、どうもありがとうございました。


 

2022年9月14日水曜日

Edie

「Edie」と云う映画を観た。少しネタバレあります。

ストーリーはごくシンプルで台詞も少ないので状況説明に終始している。夫を亡くし娘からは冷淡に扱われている老女がちょっとしたきっかけで無謀に思える登山に赴く。厳しく美しい自然の風景と人間の表情を写し見せる事に最大限重きを置いて、他のことは極力簡素に作られている事で、尊厳を奪われたまま長年生きて来た老女が大きな自然の中に翻弄されつつ抱かれて尊厳を取り戻す様が描かれていて、とても見応えがあった。

ストーリーテリングの緻密さやリアリティを求める人には、登山を手助けする優しくも悩める青年や寡黙な山小屋の主など、ご都合主義と片付けられてしまいそうなエピソードも多いけど、それは全て伝えたい事を分かり易く明確にする為に吟味されたものに自分には思えた。むしろ映像美と編集の巧みさによってこの説明の難しい内容を表現した手腕は凄いと思う。

ラスト数分の映像で自然の中の人間の砂粒のような小ささと、その小さな人間の中に宿る尊厳が自然と等しく大きなものである事が見事に表現されていた。実は全然期待せずに風景が綺麗そうだな〜くらいしか思わずに観たんだけど、見てよかったな。余談だけど登山好きの人や興味のある人には共感出来るものが多いのかも知れないし、逆に本当はもっと過酷で危険なものだと思うのかも知れない。

話は変わって、以下の日程で徳島県の櫻茶屋と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。壁面の広いお店なのでいつもより多めの作品数を展示します。お近くの方は是非足を運んでみてください。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022 @櫻茶屋
9月17日(土)〜9月27日(火)
櫻茶屋:徳島県徳島市北沖洲3-8-61



2022年9月7日水曜日

晩夏の納税

また1ヶ月経ってしまった。もう9月。相変わらず部屋で絵を描く毎日。

滞納していた年金の督促が厳しいので根負けして渋々1年分を纏めて納めた。微々たる生活の為の蓄えが文字通りスッカラカン。今年は春先にも滞納していた国保税を纏めて納めたので、最早納税の為に働いてるような気持ち。別に自慢にはならないけど、自分はあまりお金を使わずに生活している方だと思う。旅行やその他、金のかかるレジャーにはあまり関心がないし、酒は飲まないので外食せず夜遊びもせず、数年前にタバコもやめたのでタバコ代もかからず、歳を取る毎に衣類に対する関心も減って必要に応じて最低限のものを買っているだけだし、唯一の道楽は数年に1度ギターを買うのと1年に1~2個エフェクターを買う事くらいだと思う(今年は思い切ってスマホとPCを買い換えたので楽器に散財するのは控えている)。そして子供はいない。

そんな暮らしで、あまり休日も持たず仕事をしていても常にギリギリな自転車操業状態。でも毎日好きな事に取り組んでいられる事にとても感謝してる。

ただ世の中の大半の人は本当に苦労して納税してると思うので、税金の無駄遣いはやめてほしい。どうして国葬しなきゃいけないのか全然分からない。9月27日に予定されている国葬に反対。無論税金の無駄遣いはそれだけではないけども。蛇足だけど9月27日は自分の誕生日、きっとろくでもない日に違いない。

話は変わって、このところ円安極まって1ドル140円越え。散財と云うほどではないけど、bandcampで見知らぬ海外の音楽家の音源を買うのが楽しみなんだけど、しばらく控えようと思う。円安に伴って値上げされるものがいろいろあるんだろうな、たぶん。

自分は陰謀論みたいなものに関心はないけど、上記みたいな事考えてあくせく暮らしてると、なんだか操られているような誘導されているような気がきっと誰でもするでしょ?気が付けばすっかり歳取って老人になり、あとどれくらい生きられるんだろうって思うって、、そんなんでいいのか?ってたまには思うよね??自分みたいにボンヤリした人間が思うんだから、気付きの早い人や子供を持っている人は尚更、、SNSで毎日のように怒っている人が沢山いるのも当然だなと、

まだ結構暑いけど、もうすぐ夏は終わるんだろう。今年の夏の思い出はやっぱりコロナに感染した事。そう云えば発症した 日を考えると、おそらく安倍晋三氏が銃撃された日に感染したと思われる。国葬の日程も含め偶然とはいえ、イヤなタイミング、、


 



2022年8月1日月曜日

感染症

前回の投稿が7/1なのでいつの間にか1ヶ月経ってしまった。7/10に発熱、その後のPCR検査が陽性で発症から10日間自宅療養。風邪みたいとの意見もあるけど、熱が下がってからの後遺症はかなり長引くので風邪より辛い。最初の3~4日は熱が39度くらいまで上がるけど割とすんなり平熱に下がる。その頃から喉の痛み、咳が多くなり、倦怠感がなかなか抜けず、何を食べてもあまり美味しくない状態が続く(味覚がない、分からない程ではないけど、味覚と嗅覚がとても鈍くなっていて何を食べても味気ない)。

発症から2週間経って漸く平常に近くなったかなと思い、現在3週間経ってまあ普段通りかな〜と思っている。感染者がかなり多くなっているけど、もう緊急事態宣言のような行動制限はないだろうから、 何時何処で誰でも感染し得る状況だと思う。皆様どうぞお気を付けください。

最初の10日間の外出禁止期間は怠くて何をしようにも集中出来ず、何もしないでダラダラ過ごした。 とは云えずっと寝てる事も出来ないので、映画を観たり本を読んだり程度。刺激のある映画はすぐイヤになってしまうので、以前観た事がある「あん」を選んだ。ドリアン助川さん原作のハンセン病への偏見を側面にした映画で、主な登場人物3人の演技がそれぞれに見応えがある。樹木希林さんが素晴らしいのは云うまでもないけど、永瀬正敏さんの演技に引き込まれる。なんて事ない表情、「え?そうなんですか??」みたいなちょっとした表情と仕草に万感の想いが宿っているようで見事だった。

私事で恐縮だけど、2年前から瀬戸内市の愛生園にある施設で個展をさせてもらうようになって、遅ればせながらハンセン病とその歴史を少し知った。もちろん偏見や差別は許される事ではないけど、その極端に限られた場所でしか生きる術がなかった人々の人生にも、本来誰の人生にもあるべき自由と豊かさが確かに「有った」と思う。この映画はそれを描いているのでとても好きだと思った。何処にでも行けて何にでも成れる事が「自由」だなんてそれこそ思い上がりも甚だしいと思う。

コロナになって寝込んでいた時、なんだか気弱になる所為で、いつまで絵を描けるんだろう?いつまで音楽出来るんだろう?と思う。同世代の知人と話していると、引退だの、いつまで働くのか?などの話題になる事もある。ああ、もう自分もそんな年齢なのか、、と思うと同時に、そうした話題を発する相手は会社勤めだったり自営業(お店などの)だったりするので、自分とは立場が違うのかなとも思う。自分の場合、普段やってる事の他にやりたい事なんて何も思い付かない。強いて云えば見知らぬ何もないような場所へ行ってみたいとは思うけど、それはいつもの日常へ帰って来られる前提での話。

だから、自分はただ自分の生活圏内に在るごく小さな世界の中で、絵を描いて音楽がやっていたいだけなのだと思う、、それが許されるなら、それはとても贅沢な話だと思うけれど。





2022年7月1日金曜日

早くも盛夏

7月に入る前に梅雨明けしてしまい連日の猛暑に参ってる。

相変わらず毎日を絵を描いている。用事がなければ1日8〜9時間、何か用があって出かけた日も4〜5時間は描いていると思う。何もしない(絵に関して)日は殆どないけれど、たまに休み日を作った方が良いと思って2~3ヶ月に1〜2日休日を意識的に作っている。別に自分が働き者と思っているわけじゃないし、実際そうではなく寧ろ怠け者だと思う。

で、たまの休み日を終えてまた絵を描き始めると、なぜだかホッとする。画面の前に座って絵の具を混ぜ合わせていると漸く自分の席に座ったような心持ちになる。休みの日は何処へ行くでもなく何をするでもなくただダラダラして過ごす。それが楽チンだと思ってそうしてるんだけどなんだか所在なくて落ち着かない。

自分が若かった頃(20代〜30代の頃)、音楽好きの知人たちは週末になるとクラブへ遊びに行くとかなんとか云って楽しそうだったけど、自分にはそれがあまり楽しそうに思えず、家で絵を描いたり曲を作っている方が楽しかった。ただそのまま年を取って今も変わらずにいるだけなのだと思う。楽しそうに遊び歩いていた知人たちはやがて子供を持ち、遊ぶ間を惜しんで働いて立派に子供を育てた(そうしつつ音楽や絵もやめる事なく続けている知人は多い)。

そう出来なかった(なれなかった)自分について特に後悔はないけれど、なんだか自分の人生ってメリハリがないな〜とは思う。

話は変わって、岡山の城下公会堂でのイラスト展、おかげさまで無事終了しました。足を運んでくださった皆さん、気に留めてくださった皆さん、お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。


2022年6月5日日曜日

約束

春が終わろうとしてる。

10数年前の春、高いところからふわっと飛び降りて亡くなった知人を思い出す。親しく腹を割って話すような間柄ではなかった。そもそも彼はとても無口で、何か思いを内に秘めたような人だった。でも度々会う機会はあって親しくなかったとも云えない。ある時、そんな彼から頼まれごとをされて僕は引き受けた。でも単純に自分の能力不足でその約束は果たせなかった。でも「自分には出来ない」と伝える前に彼は居なくなってしまった。

もし彼が生きていたらきっと少し残念そうな顔をしながら赦してくれたと思う。そしたら約束は取り消されるのだけど。

これは誰にも何の意味も持たない、ただ僕が自分のためだけに覚えていなくてはならない約束なのだと思う。

死後の世界は信じていないけど、人が死んだらどうなるかは自分には分からない。もし彼が何処かに居るのなら、そこが暖かくて静かな場所であってほしい。

最後に彼に会ったのは土砂降りの夜だった。交わした言葉は「やあ、どうも」だけ。彼は嬉しそうに微笑んで風のように立ち去った。

話は変わって、以下日程で岡山市の城下公会堂と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

6月8日(水)~6月30日(木)
岡山市 城下公会堂
西脇一弘 イラスト展 2022
「一緒に何処かへ」

​観覧時間 11:00〜18:00
カフェ営業 16:00(os_15:30) 16:00〜18:00
までの時間は個展営業のみとなります。
*ライブがある日は、15:00(os_14:30)
までと時間変更になりますのでご注意ください。

​城下公会堂
岡山県岡山市北区天神町10−16 城下ビル 1F
phone:086-234-5260












 

 

 

Once upon a time, beautiful words were born in the night sky.
When morning came,
people began to gather the pieces and express their love.

むかしむかし、夜空に美しい言葉が生まれました。
朝が来ると、人々はそれを集めて愛を表現し始めました。