2016年11月22日火曜日

よく知っている未だ訪れたことのない場所

絵を観て古い記憶が想起される事はわりとよくあると思う。誰かの描いた、自分には全く覚えのない場所や情景を描いた絵が、自分の記憶とリンクして心を動かされると、その作品は自分にとって特別な、好きな、作品になるかも知れない。

絵には観るものにそう云う作用を投げかけようと意図して描かれたように思えるものもわりと多いと思う。エドワード・ホッパーの絵なんかは自分にとってそう云う作品。わざと画面に解決しない謎を残しておく用意周到な作風は、近年だとミヒャエル・ボレマンスの絵にも共通した印象を持っている。もちろんどちらもとても好きな画家。

でも自分は頭が悪い所為か、単に才能がないだけだと思うけど、そう云うある種、理論的に理論的でないものを構築しようとする創作が苦手と云うか出来ない。と云うか「創作」と云う意思がそもそもあまりないような気がする。ただ人なら人を、風景なら風景を描く事しか考えられない。そして、その人物は未だ会った事のない人物であり、その風景は未だ行った事のない場所で、でも自分の中のどこかしらに、子供の頃から在った場所であって、居た人物なのだ。ただそんな事を薄っすらと考えながら、いつも絵を描いている。


2016年11月20日日曜日

部屋に絵を飾らない。

先日描き始めた絵が今日完成した。この絵は僕より少し歳下の女性からの依頼で描いた。僕は普段モデルを設定して人物を描く事が殆どないので、特定の人物に似せて描くのが不得意なのだけど、是非ともこの人を描いて欲しいとの依頼だった。大丈夫だろうか?と少し心配なんだけど自分なりには、まあなんとか似ていると思う。80年代に活躍したアメリカの女優、モリー・リングウォルドさん。気に入ってもらえるとよいなと思います。先日髪の毛を珍しく省略せずに描いたと云ったけど、それは実は似せる為に重要だったから。この髪型はいかにも80年代のあの頃っぽい。今ではまず見かけない髪型だけど、当時は東京にも似たような髪型の人がたくさん歩いていた。




















さて話は変わって、僕は部屋に絵を飾ったことがない。自分の絵でも誰かの描いた絵でも、原画ではなくポスターであっても「絵」を飾ったことはない。僕の部屋と云うのは云うまでもなく「絵を描く部屋」の事。そんなに幾つも部屋を持てるような金持ちであるはずがなく、作業部屋なんてものはなく、ただ自分が過ごし生活している部屋で描いているに過ぎない。

もしどこかの部屋の中で何か曲を演奏しようとした時、同じ部屋の中で別の誰かが全く別の曲を演奏していたらどうだろうか?自分の演奏に集中するは難しいだろうし、無理に演ったとしてもよい演奏をするのはほぼ無理だと思う。たとえどんなに良い曲を優れた演奏力で奏でられていたとしても、それは邪魔な音でしかないよね?

僕にとって絵を描く部屋に絵が飾ってあるのはそれと同じ事なのだと思う。





















2016年11月18日金曜日

ブログを始めました。

どれだけ遅ればせなのか分からないけれど、初めてブログを始めてみます。
日記的なものはsakanaのホームページで書いているので、ここでは絵の制作についての具体的な事柄を主な内容にしようと思っています。いつまで続くかは分からないけれど、よろしくお願いします。

僕は普段、髪の毛の描写を省略して平面的に塗りつぶしてしまう事が多い。そうする事で事細かに描写した顔との対比が面白く感じられるから。しかし今日から描き始めた絵では珍しく髪の毛を細かく描写してみる事にした。思い起こせば髪の毛をこんな風に描写したのは20年ぶりくらいだと思う。たまには良いなとも思ったけれど、普段の省略する事で得られる効果がやはり気に入っているのだなと再確認した気もする。




















いつも使っている絵具皿はホーロー製のトレイ。それにプラスティック製のバケツと平筆-大小、ペインティングナイフ。これが僕が絵を描く道具の基本、と云うかほぼこれしか使わない。写真のバケツとトレイは15年前から使っているもの。筆は半年、ペインティングナイフは1年でダメになる。