僕の父親は25年前の5月に59歳でポックリ亡くなった。'96年、僕は32歳であまりに突然の事で俄かに信じられなかった。けど要因がなかったわけではない。若い頃大酒飲みで且つ早朝から深夜まで働き詰めの会社人間だった父は30過ぎで身体を壊して長期入院した。その後少しは酒を控えるようになったが相変わらず仕事人間で何度か入退院を繰り返した。でも亡くなる前の数年はがむしゃらに働く事はなく酒は時々飲んでいたらしいけど穏やかな暮らしぶりだったので意外だった。
自分が幼かった頃は自分が起きる前に出かけて寝てから帰宅する父とはあまり接点がなく、なんとなく遠い存在だった。身体を壊して以降はそれまでより家に居る時間が増えて顔を合わせるようになったけど、口煩くて威圧的なので好きじゃなかった。中学2年の頃、父は再び体調を崩して倒れ暫く自宅療養していた時期があった。後になって思えばまだ40過ぎで仕事に力を注ぎたい気持ちだったけど身体を壊して思うようにならずイライラしていたのかも知れない。方や反抗期真っ只中の自分なので、毎日のように親子喧嘩で不仲は決定的になった。高校生になってからは自分の方があまり家に寄り付かなくなって、卒業後は都内で一人暮らしになって疎遠になった。その後は親戚の法事や弟の結婚式、その他役所への手続きなど必要がなければ顔を合わせる事もなかったので、ある日帰宅して留守電を聞いたら父が死んだと母からメッセージが入っていて心底驚いた。
そんな父親との思い出は喧嘩した事や子供の頃怒られてムカついた事などが殆どだけど、小学3年の頃になぜか父と二人で三重県の父の実家に車で行った事がある。当時島根県に住んでいたので島根〜三重を車で何時間もかけて往復した。父は37歳くらいだったのか、すでに最初の入院の後だったけど相変わらず働き詰めの日々で僕とはよそよそしい感じだった。長い道中僕は自分からは何も話しかけなかったと思う。父も「腹減ったか?」とか「便所に行ってこい」とか必要な事しか云わず、黙々と車を走らせていた。
アメリカほど広大ではないものの、田舎の国道は変化に乏しい単調で平べったい風景が続く。朽ちたセメント工場の脇にボロボロのミキサー車が停まっている、プレハブ小屋のような「お食事処」、寂れたガソリンスタンド、遠くに見える農家の蔵の屋根、延々と続くそんな風景をよそよそしい無言の車内で眺めながら思う。この風景の中の人々は皆自分と同じように所在ない寂しさを感じているのだろうか?
そんな朧げな記憶が現在の中でフッと鮮明に蘇る。 まるで昨日の出来事のような強度にたじろぐ。実際には50年近い歳月が横たわっているはずなのに。人の心は驚くほど変わらない。子供の頃、もしくは若い頃、人は見た目通りに内面も老成するものだと思っていなかったか?
肉体が老いても心は幼いままなのはなんとも酷な話だけどもそれが現実だ。 だから叶わない事だけど子供の頃の自分に云いたい。お前は老人になっても同じ気持ちのままいるのだと。大人や老人は皆見掛け倒しなのだと。そうしたらもう少しあらゆる事に寛容だっただろうか?父が死ぬ前にもっと語り合えた事があっただろうか?