2021年4月3日土曜日

すっかり春めいて

最近ネット記事を読んで「ふ〜ん」と思う事が多い。いよいよヤキがまわってるのか?

先日「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す恐ろしい未来、と題した文章を読んだ。やはりもっともらしい事が書いてあるけどあまりピンと来ない(検索すればすぐ見つかると思うので興味のある人は読んでみてください)。映画を早送りで観るのはビデオ時代だって倍速で観てるって知り合いは居たし、無駄を嫌うのも、手っ取り早く「何者か」の顔をしたがるのも若者の特徴であって今に始まった事じゃないし、そう云う世相を切り取って嘆く文章が横行するのも昔から変わっていない。ただ時代の流れによって表面的なスタイルが変わってるだけと云うか、観るべき、聴くべき、知るべき対象が物凄い勢いで増え続けているので対応の精度やスピードに変化が生じている。で、自分みたいに鈍臭くてのんびり構えたものは若い頃だってそのスピードに置いてけぼりを食って、まあいいか、自分のペースで勝手にやるだけだと思っている。

でも若者に対して記事の内容と近い印象を自分も持っている側面もある(自分の狭い交流の中での事だから皆がそうだとは思わないけど)。「知らない」「分からない」って言葉を云わない人が多いなとは思う。自分は若い頃も今もよく云う(云いすぎ?)ので不思議なんだな。きっと若者は情報過多で物知りなんだろう。相手を論破する事へ執着心は確かに自分が若い頃の友人達より最近の若者は強いなと感じる。でも自分にはあまり関係ない事だと思っているな。情報をインプットしただけの知識には興味ないから。

記事の主眼はたぶんこの一節に集約されている。「(若者は)てっとり早く、短時間で、「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」と思っているという」

でも人ってそんなに単純じゃない。こんな風に一絡げにして片付けられるはずはないんだよね。まるで誰かに聞いて来たかのような云い方だけど誰に(何人に)聞いたのだろうか?

この記事には「言外の意味が汲み取れなくなる」と云う副題が付いていた。こんな感じで極論に結び付けて記事をひとつでっち上げるのって難しい事じゃない。 先日の記事もそうなんだけど毎日なんとなくSNSを斜め読みしていれば誰でも書けちゃう内容だと思う。でもこう云う記事に需要があるって事なのか、。自分も読んでるけど。、、やはりヤキがまわってるな。

あ、でも別にいいんだけど、仕事で書いてるんだから。