2022年11月20日日曜日

晩秋

 晩秋は訳もなく寂しい季節。でも本当は訳はちゃんと有って、自分はいずれ死んでしまうんだな、言い換えれば、自分にとっては全ての物事はいずれ泡のように消えてしまうんだなと云う寂しさだと思う。万人に共通する事だと思うんだけど、そんな事ない人も居るんだろうか?

 じゃあ何がそんなに寂しいのか具体的に考えてみる。通い慣れた駅までの往復を歩けなくなるのが寂しい、時たま食べる好きなものをもう食べられなくなるのが寂しい。何の理由もなく友達が作れた若い頃に出会った旧い友人に会えなくなるのが寂しい。新たな音楽を聴く楽しみがなくなるのが、もうギターを弾けなくなるのが、あれこれ悩みながら絵を描き上げる喜びがなくなるのが寂しい。沢山あるけれどやっぱりいつも一緒に過ごした人と、もう笑い合えなくなることが1番寂しい。もし自分が死ぬ前日を、自分の好きなように過ごす機会が与えられたなら、自分は迷わずいつもと同じように台所の椅子に座って、たいして意味もない話やくだらない思い出話を延々と続けようと頼むだろう。本当にそれしかしなくていい。そして最期に「もう君に会えなくなるのが寂しい」と云うんだろう。突き詰めれば自分の人生ってたぶんそれだけなんだ。

もちろん色んな人達や物事への沢山の感謝も後悔もあるけれど、。そして絵を描いたり音楽を作ろうとしたりするのは、歩き続けるための杖みたいなものかも知れない。

 知り合いと話してると「もう自分らは終わり方を考える年齢に来てると思う」と云われてハッとする。でもそうだよな、まさしく人生晩秋の物思いなのだ。

話は変わって、
3年ちょっと前に以前自分がやっていたsakanaと云う音楽ユニットの30数年分のバイオグラフィみたいな長い文章をこのブログに書いた。全ては少なくとも自分にとっては経験した事実そのものだったけど、意識的に書かないようにしたある人物との関わりがあった。なぜならその人物との関わりを書こうとすると、別のバイオグラフィが一編書けてしまうくらい長くなるので、長尺煩雑になるのを避ける為にそうした。

もう今更興味のある人など居ないと思うし、特にどうしても誰かに伝えたい訳でもないけど、折角7~8割方のバイオグラフィを綴ったのに、中途半端な状態なのが自分にとってスッキリしないので、上記の書かない事にした諸々を「番外編」として書いた。明日(11月21日)午後に更新します。でも楽しい内容ではないし、とても長いので関心がなければ読まない方がいいと思います。

また話は変わって、
12月3日(土)〜12/11(日)まで代々木上原のLittle Nap COFFEE ROASTERSと云うお店でイラスト展をさせてもらいます。久しぶりの都内での展示になります。お近くの方は是非足を運んでみてください。

最終日11日(日)夜には、石井マサユキさんとのギターデュオ、westoneでライブをさせてもらいます。詳細は後ほどSNS等でお知らせします。

よろしくお願いします。

​「西脇一弘 イラスト展 2022」
Little Nap COFFEE ROASTERS:東京都渋谷区富ヶ谷2-43-15
open 9:00-19:00
phone 03-5738-8045



 

 

 

 

 

2022年10月3日月曜日

秋近し

愚痴だと誤解されたら嫌なので先に書くけど、これは愚痴ではなくて単なる理解。

相手から何かを訊ねられて、回答がネガティブな場合返信がない事が自分はわりと多い。例えば「いつ何時ライブしませんか?」と誘われて「予定が入っているので出来ません」と返事した時、それっきりと云う感じ。 

必要な情報交換は済んでいるから何も問題ないし、別に腹を立てているわけでもないけど、「あ〜、そう云う相手なんだな」って自分の中で相手に対する位置づけみたいなのは決まると思う。自慢するわけでも他人にも同じようにして欲しいと望むわけでもないけど、自分が誰かに何かを頼んだ場合は相手が誰であっても、返事の可否に関わらず検討して返信してくれた事に対する礼は返す。それが自分にとって当たり前の事だからに過ぎない。

ここで思うのは「相手になめられるか否か」が行動原理になっている人が世の中には結構多いなと云う事。自分のような振る舞いは真っ先になめられるのだろうと若い頃から理解はしてるけど変えられない、なんでだろう?例えば店を経営してる人だったら、何でも客の云いなりにはならないぞと云う表明かも知れないし、。「なめられる事が」生活のかかった仕事に支障をきたすとなれば、そりゃ誰だってそうならないように考えるよね。

自分の場合は絵を描くのが一応生業で、描いた絵を観ればそれがどの程度のものかは一目瞭然なので取り繕いようがないから「なめられないように」って行動原理に行き着かないのかも知れない。あと相手によって態度を変えるってのが自分は単純に好きじゃない。

話は変わって、先日またひとつ歳を取った。いつの間にか、父親が亡くなった年齢と同じになってしまった。以前にも父親の事は書いた事があるので繰り返しになるけど、父親とは子供の頃からあまり折り合いがよくなかったので、高校卒業して家を出てからは疎遠なままだった。たいして腹を割った話をする事もなくあっけなく居なくなってしまった。そんな我儘で身勝手な子供を持って、今の自分と同じ年齢だった父親は何を思っていたのだろうか?この年齢になればあらゆる能力は下り坂で、自分がどの程度のスキルしか持っておらず、詰まらない事にくよくよする侘しい人間だと知っているし、だからささやかな人との繋がりや交流がとてもありがたく感じるものだと思う。父親は近所に買い物に出かけた際に道端で倒れて突然死だった。本人も自分がまさか死ぬなんで全く思っていなかったはず。それが救いだなと思う。「自分はもうすぐ死ぬのかも知れない」と思いながら独りで寂しく死んで行ったとしたらやりきれない。

話は変わって、徳島県の櫻茶屋でのイラスト展がおかげさまで無事終了しました。 足を運んでくださった皆さん、気に留めてくださった皆さん、お世話になった方々、どうもありがとうございました。


 

2022年9月14日水曜日

Edie

「Edie」と云う映画を観た。少しネタバレあります。

ストーリーはごくシンプルで台詞も少ないので状況説明に終始している。夫を亡くし娘からは冷淡に扱われている老女がちょっとしたきっかけで無謀に思える登山に赴く。厳しく美しい自然の風景と人間の表情を写し見せる事に最大限重きを置いて、他のことは極力簡素に作られている事で、尊厳を奪われたまま長年生きて来た老女が大きな自然の中に翻弄されつつ抱かれて尊厳を取り戻す様が描かれていて、とても見応えがあった。

ストーリーテリングの緻密さやリアリティを求める人には、登山を手助けする優しくも悩める青年や寡黙な山小屋の主など、ご都合主義と片付けられてしまいそうなエピソードも多いけど、それは全て伝えたい事を分かり易く明確にする為に吟味されたものに自分には思えた。むしろ映像美と編集の巧みさによってこの説明の難しい内容を表現した手腕は凄いと思う。

ラスト数分の映像で自然の中の人間の砂粒のような小ささと、その小さな人間の中に宿る尊厳が自然と等しく大きなものである事が見事に表現されていた。実は全然期待せずに風景が綺麗そうだな〜くらいしか思わずに観たんだけど、見てよかったな。余談だけど登山好きの人や興味のある人には共感出来るものが多いのかも知れないし、逆に本当はもっと過酷で危険なものだと思うのかも知れない。

話は変わって、以下の日程で徳島県の櫻茶屋と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。壁面の広いお店なのでいつもより多めの作品数を展示します。お近くの方は是非足を運んでみてください。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022 @櫻茶屋
9月17日(土)〜9月27日(火)
櫻茶屋:徳島県徳島市北沖洲3-8-61



2022年9月7日水曜日

晩夏の納税

また1ヶ月経ってしまった。もう9月。相変わらず部屋で絵を描く毎日。

滞納していた年金の督促が厳しいので根負けして渋々1年分を纏めて納めた。微々たる生活の為の蓄えが文字通りスッカラカン。今年は春先にも滞納していた国保税を纏めて納めたので、最早納税の為に働いてるような気持ち。別に自慢にはならないけど、自分はあまりお金を使わずに生活している方だと思う。旅行やその他、金のかかるレジャーにはあまり関心がないし、酒は飲まないので外食せず夜遊びもせず、数年前にタバコもやめたのでタバコ代もかからず、歳を取る毎に衣類に対する関心も減って必要に応じて最低限のものを買っているだけだし、唯一の道楽は数年に1度ギターを買うのと1年に1~2個エフェクターを買う事くらいだと思う(今年は思い切ってスマホとPCを買い換えたので楽器に散財するのは控えている)。そして子供はいない。

そんな暮らしで、あまり休日も持たず仕事をしていても常にギリギリな自転車操業状態。でも毎日好きな事に取り組んでいられる事にとても感謝してる。

ただ世の中の大半の人は本当に苦労して納税してると思うので、税金の無駄遣いはやめてほしい。どうして国葬しなきゃいけないのか全然分からない。9月27日に予定されている国葬に反対。無論税金の無駄遣いはそれだけではないけども。蛇足だけど9月27日は自分の誕生日、きっとろくでもない日に違いない。

話は変わって、このところ円安極まって1ドル140円越え。散財と云うほどではないけど、bandcampで見知らぬ海外の音楽家の音源を買うのが楽しみなんだけど、しばらく控えようと思う。円安に伴って値上げされるものがいろいろあるんだろうな、たぶん。

自分は陰謀論みたいなものに関心はないけど、上記みたいな事考えてあくせく暮らしてると、なんだか操られているような誘導されているような気がきっと誰でもするでしょ?気が付けばすっかり歳取って老人になり、あとどれくらい生きられるんだろうって思うって、、そんなんでいいのか?ってたまには思うよね??自分みたいにボンヤリした人間が思うんだから、気付きの早い人や子供を持っている人は尚更、、SNSで毎日のように怒っている人が沢山いるのも当然だなと、

まだ結構暑いけど、もうすぐ夏は終わるんだろう。今年の夏の思い出はやっぱりコロナに感染した事。そう云えば発症した 日を考えると、おそらく安倍晋三氏が銃撃された日に感染したと思われる。国葬の日程も含め偶然とはいえ、イヤなタイミング、、


 



2022年8月1日月曜日

感染症

前回の投稿が7/1なのでいつの間にか1ヶ月経ってしまった。7/10に発熱、その後のPCR検査が陽性で発症から10日間自宅療養。風邪みたいとの意見もあるけど、熱が下がってからの後遺症はかなり長引くので風邪より辛い。最初の3~4日は熱が39度くらいまで上がるけど割とすんなり平熱に下がる。その頃から喉の痛み、咳が多くなり、倦怠感がなかなか抜けず、何を食べてもあまり美味しくない状態が続く(味覚がない、分からない程ではないけど、味覚と嗅覚がとても鈍くなっていて何を食べても味気ない)。

発症から2週間経って漸く平常に近くなったかなと思い、現在3週間経ってまあ普段通りかな〜と思っている。感染者がかなり多くなっているけど、もう緊急事態宣言のような行動制限はないだろうから、 何時何処で誰でも感染し得る状況だと思う。皆様どうぞお気を付けください。

最初の10日間の外出禁止期間は怠くて何をしようにも集中出来ず、何もしないでダラダラ過ごした。 とは云えずっと寝てる事も出来ないので、映画を観たり本を読んだり程度。刺激のある映画はすぐイヤになってしまうので、以前観た事がある「あん」を選んだ。ドリアン助川さん原作のハンセン病への偏見を側面にした映画で、主な登場人物3人の演技がそれぞれに見応えがある。樹木希林さんが素晴らしいのは云うまでもないけど、永瀬正敏さんの演技に引き込まれる。なんて事ない表情、「え?そうなんですか??」みたいなちょっとした表情と仕草に万感の想いが宿っているようで見事だった。

私事で恐縮だけど、2年前から瀬戸内市の愛生園にある施設で個展をさせてもらうようになって、遅ればせながらハンセン病とその歴史を少し知った。もちろん偏見や差別は許される事ではないけど、その極端に限られた場所でしか生きる術がなかった人々の人生にも、本来誰の人生にもあるべき自由と豊かさが確かに「有った」と思う。この映画はそれを描いているのでとても好きだと思った。何処にでも行けて何にでも成れる事が「自由」だなんてそれこそ思い上がりも甚だしいと思う。

コロナになって寝込んでいた時、なんだか気弱になる所為で、いつまで絵を描けるんだろう?いつまで音楽出来るんだろう?と思う。同世代の知人と話していると、引退だの、いつまで働くのか?などの話題になる事もある。ああ、もう自分もそんな年齢なのか、、と思うと同時に、そうした話題を発する相手は会社勤めだったり自営業(お店などの)だったりするので、自分とは立場が違うのかなとも思う。自分の場合、普段やってる事の他にやりたい事なんて何も思い付かない。強いて云えば見知らぬ何もないような場所へ行ってみたいとは思うけど、それはいつもの日常へ帰って来られる前提での話。

だから、自分はただ自分の生活圏内に在るごく小さな世界の中で、絵を描いて音楽がやっていたいだけなのだと思う、、それが許されるなら、それはとても贅沢な話だと思うけれど。





2022年7月1日金曜日

早くも盛夏

7月に入る前に梅雨明けしてしまい連日の猛暑に参ってる。

相変わらず毎日を絵を描いている。用事がなければ1日8〜9時間、何か用があって出かけた日も4〜5時間は描いていると思う。何もしない(絵に関して)日は殆どないけれど、たまに休み日を作った方が良いと思って2~3ヶ月に1〜2日休日を意識的に作っている。別に自分が働き者と思っているわけじゃないし、実際そうではなく寧ろ怠け者だと思う。

で、たまの休み日を終えてまた絵を描き始めると、なぜだかホッとする。画面の前に座って絵の具を混ぜ合わせていると漸く自分の席に座ったような心持ちになる。休みの日は何処へ行くでもなく何をするでもなくただダラダラして過ごす。それが楽チンだと思ってそうしてるんだけどなんだか所在なくて落ち着かない。

自分が若かった頃(20代〜30代の頃)、音楽好きの知人たちは週末になるとクラブへ遊びに行くとかなんとか云って楽しそうだったけど、自分にはそれがあまり楽しそうに思えず、家で絵を描いたり曲を作っている方が楽しかった。ただそのまま年を取って今も変わらずにいるだけなのだと思う。楽しそうに遊び歩いていた知人たちはやがて子供を持ち、遊ぶ間を惜しんで働いて立派に子供を育てた(そうしつつ音楽や絵もやめる事なく続けている知人は多い)。

そう出来なかった(なれなかった)自分について特に後悔はないけれど、なんだか自分の人生ってメリハリがないな〜とは思う。

話は変わって、岡山の城下公会堂でのイラスト展、おかげさまで無事終了しました。足を運んでくださった皆さん、気に留めてくださった皆さん、お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。


2022年6月5日日曜日

約束

春が終わろうとしてる。

10数年前の春、高いところからふわっと飛び降りて亡くなった知人を思い出す。親しく腹を割って話すような間柄ではなかった。そもそも彼はとても無口で、何か思いを内に秘めたような人だった。でも度々会う機会はあって親しくなかったとも云えない。ある時、そんな彼から頼まれごとをされて僕は引き受けた。でも単純に自分の能力不足でその約束は果たせなかった。でも「自分には出来ない」と伝える前に彼は居なくなってしまった。

もし彼が生きていたらきっと少し残念そうな顔をしながら赦してくれたと思う。そしたら約束は取り消されるのだけど。

これは誰にも何の意味も持たない、ただ僕が自分のためだけに覚えていなくてはならない約束なのだと思う。

死後の世界は信じていないけど、人が死んだらどうなるかは自分には分からない。もし彼が何処かに居るのなら、そこが暖かくて静かな場所であってほしい。

最後に彼に会ったのは土砂降りの夜だった。交わした言葉は「やあ、どうも」だけ。彼は嬉しそうに微笑んで風のように立ち去った。

話は変わって、以下日程で岡山市の城下公会堂と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

6月8日(水)~6月30日(木)
岡山市 城下公会堂
西脇一弘 イラスト展 2022
「一緒に何処かへ」

​観覧時間 11:00〜18:00
カフェ営業 16:00(os_15:30) 16:00〜18:00
までの時間は個展営業のみとなります。
*ライブがある日は、15:00(os_14:30)
までと時間変更になりますのでご注意ください。

​城下公会堂
岡山県岡山市北区天神町10−16 城下ビル 1F
phone:086-234-5260












 

 

 

Once upon a time, beautiful words were born in the night sky.
When morning came,
people began to gather the pieces and express their love.

むかしむかし、夜空に美しい言葉が生まれました。
朝が来ると、人々はそれを集めて愛を表現し始めました。

2022年4月26日火曜日

三寒四温

三寒四温の時期は雨が多いけど今年は例年以上の多さ。今日も雨。年を取ると体調が如実に天候に左右されるので今時分は振り回され気味。

年を取って衰えるのは体力だけじゃない。考え理解し記憶する力は25歳頃がピークで以降は徐々に衰えるとの説もある。確かに40歳過ぎた頃から込み入った事を考えるのが面倒に感じるようになって「40過ぎたらもう楽しい事しか考えたくなくなった」なんて云いながら一丁前の中年を気取っていたけど、今にして思えば40歳はちゃんちゃら若く30歳と大した違いはない。50歳過ぎた頃から体力思考力共に衰えをビリビリ感じるようになって、近所をジョギングしてみてあまりのキツさにあっという間に挫折したり、市販の知能テストを買ってきてやってみたりした。自慢するわけじゃないけど知能テストはIQ140とか結果が出るけどどう考えても大甘な結果に思うので、きっと購買者を喜ばせるように設定されているのだろう。

加齢に対する実感は情けない話に終始してしまうけど、思考力については衰えるばかりではないとも思う。物事に対する「根気」みたいなものは経験と共に進歩する(部分)もあるんじゃないかと。いつもと似た物言いになってしまうけど、10年何かに取り組んだらどうなるかは10年やってみなくちゃ分からないのと同じで50年生きたらどうなるかは50年生きてみなくちゃ分からない。若い頃は経験が少ないので予測で物事を測ろうとするけど、どれほど天才的な若く明晰な頭脳を持ってしても、実際に経験して得た実感には及ばないと思う。とは云え若者に先輩風を吹かせる気は毛頭ない。そんな物言いが、風のように走り計算機みたいなスピードで暗算する若者に何の意味も持たない事も自分は「経験」しているから。

分かり易い例えとして、若い頃立て続けに名盤を発表したボブ・ディランはまさしく天才的な洞察力で自分の親よりも年配の人間の心情を見事に表現した。でも近年の作品の方が遥かに深く染み入るような諦観を現していると思う。

話は変わって5月1日(日)〜5月15日(日)まで青森県八戸市のソールブランチ新丁と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

「西脇一弘 イラスト展 2022」
5月1日(日)〜5月15日(日)
ソールブランチ新丁
青森県八戸市小中野8丁目8-40
phone:0178-85-9017




 

2022年4月8日金曜日

支え合うこと

こんな事云ってもしょうがないのは分かってるけど、世の中の「便利さ」と「管理」が一緒くたに押し寄せてきて度々途方に暮れる。

例えば自分は売り買い共にメルカリを利用しているけど、スマホは画面が小さくて老眼には厳しいのでPCで使ってる。しかし先日突然売上金の現金振り込み申請はスマホからしか出来なくなったと云われ、仕方なくアプリを入れてスマホで申請した。こんな感じで当面はある程度の「選択肢」があるように見えるけど、結局は全てのユーザーを都合の良い方向へ纏めてしまうのがなんだか腑に落ちない。こんな事を感じる自分は世の中に「ついて行けてない」のはよく分かっているし、安全性や利便性を優先してるのも分かるけど、世の中の皆さんはすんなり納得出来ているのでしょうか??

スマホにアプリを入れるのを敬遠していたのは老眼だけではなく、自分のスマホはヤフオクで安く買った旧い機種で32GBしかないのでなるべくアプリは少なくしたいのもあった。単純に世の中の便利さについて行くにはそれなりの金がないと無理って話なのか、。

金がない年寄りは詐欺に遭う心配がなくてよいけど「便利な世の中」はある程度諦めるしかないんだろうな。 自分は別にそれでも構わないけど「出来ていた事が突然有無を云わさず取り上げられてしまう」のはやっぱり納得出来ない。だって大抵は「新たなサービス」に含まれる膨大な量の手数料の為の力技だと思うから。でも今後こんな事例はどんどん増えるんだろうな。

話は変わって最近スティーヴ・ジョーンズの本が出版されたりセックスピストルズの伝記映画?が出来たりしてちょっと話題になっている。自分はそれほど好きだと思った事はないけれど、中学〜高校がリアルタイムだったのでそれなりには聴いた。好きな友達も多かったし。痩せこけたネズミみたいだったジョニーロットンはずいぶん恰幅のよい爺さんになったけど語り口は相変わらず。数年前に長年連れ添った奥さんがアルツハイマーになって介護していると云う記事を読んだ。「俺はフルタイムで彼女の介護をしている。誰にも彼女の頭を混乱させはしない。俺にとっては、真の彼女はまだそこにいるんだ。俺が愛する人物は毎日、どの瞬間にも存在する。これが俺の人生だ。彼女が物事を忘れてしまったのは残念だが、俺らみんな、そんなもんだろ?」

苦労の真っ只中、「これが俺の人生だ」と云える豊かさ。相手を愛し支える事が自分を支えている。 若い頃にこんな事に気付くなんて、少なくとも自分には到底無理だった。年を取る事が惨めな事ばかりじゃないって教えてくれる。

話は変わって、4月9日(土)〜4月30日(土)まで岡山県瀬戸内市の喫茶さざなみハウスでイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022 @喫茶さざなみハウス
4月9日(土)〜4月30日(土)
岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539
営業:8:00〜16:00(土・日は17:00まで)
定休日:月・火曜日
Tel:080 2923 0871



 

2022年3月23日水曜日

名演とは?

近年は音楽の聴き方が多様化して選択肢がやたらと多い。サブスクは便利と思うけど未だ馴染めない。CDは変わらずよく聴くけど、興味があっても買わずにYouTubeですませてしまう事も多くなった。自分世代はアナログレコードが良い音なのは知っていて馴染み深いけど、自分はそう云う方向への熱意?があまりなくおもちゃみたいな再生装置しか持っていない。昔もLPは本と並んで引越しの悩みの種だったのでレコードと本はなるべく所有しないように心がけていた(買ったら売るを繰り返すわけ)。そんなわけでwavやmp3への移行はモノが増えない点では大歓迎だけど。

書こうと思ってた事と話がズレてしまった。話を戻すと自分はここ15年くらいはYouTubeで音楽を聴く事が多くなっていて、その利点は音源をなんらかの形で流通させるような活動をしていない人達の音楽(演奏)が聴けるところ。例えばブラジルやアルゼンチンのたぶん毎日地道に働いている労働者風のおじさんが、仕事を終えて帰宅して台所でビール飲みつつご機嫌でギター弾いて歌っている動画なんかを観るのが好きなのだ。それは古いショーロやサンバの曲だったりして、おじさんにとっては心身に染み付いたような歌で、その歌声はとてもアツい。人によってはプロか?と思うくらい上手い人もいるけれど、その思い入れの溢れ具合によってむしろアマチュアだと分かったりする。プロの演奏としては自分の感情に耽溺し過ぎているのだね。

こんな感じのおじさんは日本人にも結構いて、自分には長年追いかけて動画を楽しみにしている人もいる。自分と同じくらいの年齢に見える人で、たぶん普段は固い会社勤めか公務員かなと思われる風貌で、10年以上前から観ているので最近随分老けたな〜とか他人事とは思えなかったりして、自分世代には当たり前に親しんで来た70年代のカーペンターズなんかの名曲ポップスをギターでしみじみと弾いている動画を拝聴している。おじさんの唯一の趣味なのかも知れないギター。動画の背景は随分むさ苦しい散らかった部屋で、最近髪の毛が薄くなって風采の上がらなさに拍車が掛かっている。長年弾いているのでギターの腕前は相当なものだけど、たぶんライブをした事はないと思う。奥さんや子供は居るのだろうか?プライバシーが分かるような情報は一切ない。でもカメラの前のその熱過ぎる演奏から、おじさんがどれほど音楽に救われて生きて来たのかが分かるのだ。そしてその演奏は著名な音楽家の演奏を凌ぐほどに感動的だ。音楽は人を選んだりしない。もっと大きなものなのだね。


 

少し長くなるけど、話は変わってまた思い出話。近年は機会が減ったけど、以前は演奏ツアーやレコーディングが度々あった。若い頃はバンド解散やメンバー脱退のきっかけは大抵演奏ツアーかレコーディングだと皆で認識していた。1週間を超える演奏ツアーは過酷だ。演奏後は毎晩安居酒屋で打ち上げて安宿で雑魚寝しておんぼろ機材車に乗って次の場所へ行って演奏、また同じ事の繰り返し。最初は皆気遣い合ってご機嫌に過ごすけど、3~4日経つと気遣いの箍が外れて、酒やその他の作用が我儘放題に追い打ちをかける。疲労困憊でツアーから戻って2~3日すると「オレ悪いんだけど抜けるわ」って云い出すメンバーがいるわけ。実は自分もまさしくそうやってバンドを辞めた。

レコーディングは精神面でさらに過酷。後々残って繰り返し聴くものを制作するので、演奏に対するエゴのぶつかり合いが多い。皆で一斉に演奏〜録音の場合はメンバー全員が納得出来る演奏テイクはまずないので、どのテイクにするかの問答での駆け引きが様々なストレスを生む。パート毎に別々に録音して行く場合は、先に録音するベーシック側(ドラムや伴奏パート)は後のパートが録音した後に自分のパートをやり直すのはご法度なのだが、それをやってしまって揉めたりする。後からパートを重ねる側は既に録音されているパートを聴きながら演奏するので、後出しジャンケンのような、イタチごっこのような、身勝手さが生じるわけ。そんな風にレコーディング作業はメンバー個々の身勝手さを浮き彫りにするので、やはり「オレ抜けるわ」のきっかけになり易い。自分もsakanaをやっていた間、何度もそのような気持ちになった(勿論自分が身勝手な側の場合も何度もあった)けど、レコーディングがきっかけでメンバーが脱退した事はなかった。でも近年他のプロジェクトの録音作業で同じような目にあって、相手のあまりの無自覚さに辟易して辞めた。

演奏ツアーも音源制作の為のレコーディングも順調に行ってる時はホントに楽しいけどそれは一瞬。最後までやり抜くには難しい場面をどう切り抜けるか、の方が重要。音楽の場合は人との関わりの難しさが多いけど、絵のように一人でやる事が大半のものでも共通してると思う。「うまくやる事」より「うまくやれなかった時どうするか?」だよね殆どの事は。「うまくやる」ってエゴから離れないと良い方向へは行けない。

2022年3月18日金曜日

ROCKER

幸せは、何十年も共に過ごして来た相手と同じ思い出話を何百回も繰り返す事、台所で交わす気にも留めない会話、並んで歩いた何千キロの道、その他さまざまな永遠に繰り返したい事柄、始まりにも終わりにも気付かないほどに。

誰の生活も等しく守られますように。戦争反対。天災を事前に防ぐのは難しいとしても、救援支援補償が迅速に行き渡りますように。

話は変わって、先日書いたオートレジが困難に直面しているらしい。大量の硬貨を投入されて機械が詰まる事例が相次いでいるそう。それには銀行が硬貨の預け入れに手数料を取るようになったのが関係しているらしい。逆両替、。その他にもいろいろ問題あると思うんだよな、未だ完成には程遠い仮システムな感じがする。

また話は変わって昔話。
18歳の頃、高校出たらいっちょバンドやるぜと思ってて、友達を誘い込もうとがんばってて、 この時点で思ってた「バンド」って所謂ロックバンド。特に意識してたわけじゃないけど、それまでの自分が好きだったバンドの大半はロックバンドだったから。でもロックバンドもしくはロックって言葉にはなんだか音楽以外の情報がいろいろ含まれる。今はそんな事ないかも知れないけど当時'80年代半ば頃はそうだった。

現在の自分はこんな風には考えないけど、当時の自分はロックバンドもしくはロッカーは格好付ける前提で成立するものと理解していた(ファッションや見た目の事ではありません)。無論、気さくでオープンな人は沢山いるし、格好付けるなんてダサいぜって云う人も多いし、わざわざ露悪的になってみっともない自分を曝け出す人も多い。そもそも「格好良い」なんて「当たり前」の価値観は格好悪いって人の方がロック好きには多い気がするけど、でもそう云うの全部含めて、やっぱり格好付けるって事だと思った。違う云い方をすればいろんな意味で「賢い」必要があるって事。バカっぽい振る舞いはOKだけどバカじゃダメって感じ。そうじゃないと格好付けてもサマにならない。対して自分はロッカー?になるにはあまりにも凡庸で小心で猜疑心や反抗心に欠けていた。そしてうっかりミスの多い自分はいくら格好付けてみてもすぐに台無しな失敗を繰り返すと容易に想像出来たので、自分にはちょっと無理かな〜と思いながらも、当時は知人に誘われてロックバンド然としたバンドに参加したりした。

よい思い出も嫌な事もあったけど結局長続きせずそのバンドはやめた。それに比べて自分で始めたバンドは「 なんでもいいから何か自分(達)に出来そうな音楽を探そう」と考えてsakanaと名乗って35年続いた(こちらもよい思い出と嫌な事はテンコ盛りだったけど)。結局出来そうな音楽は未だ見つかっていないけど、今もそれなりに楽しんで探索を続けている。

なんで今になってロックバンドについてこんな事書いてるかと云うと、近年のSNSによって昔の知り合い音楽家の多くが今も健在で元気に活動している情報を知り、そのロックバンドぶりを頼もしくも羨ましくも思うからだ。彼らは若い頃から自分とは違ってたような気がする。でも年取ってよかったのはその違いがどうでもよくなった事だね。 



 

 


2022年3月1日火曜日

前回に続き絵を描く事について。
35年以上も絵を描いているけど、何かを「掴んだ」と思える事は一つもない。でも絵を自分の思い通りにしようした途端に上手く運ばなくなるって事だけは分かった気がする。、、まあなんでもそうか。自分の思い通りにではなく、相手にとってどうするのがよいかを考えれば、わりとスムーズに進むよね。別の云い方をすれば、真っ新の紙に下描きの線を一本引けば、それは紙ではなく絵になって、自分の思い通りにはならない他者になる。別にいい人ぶるわけではなくて、その方が自分にとってよいって事。

超大物を引き合いに出して恐縮だけど、こう云う事をスーパー達人レベルで実践したのがピカソだと思う。ピカソの作品は「天才の力技」のように見えるかも知れないけどそうではなくて、つい思い通りにしようとする自分の強引さやワザとらしさを丁寧に払拭した成果だと自分には思える。でもそれを言葉通りに実現出来てしまうからやはり天才。コクトーは「優れた作品は創られる前から在る」と云ったけど、まさしくピカソの作品を現してると思うな。

今日から3月。ここ数日は春めいた暖かい日が続いてる。でもロシアのウクライナ侵攻は世界の何処かではいつの時代も戦争紛争が絶えない事を再び思い起こさせる。馬鹿げていると思うだろうけど、「勝ち負け」や「損得」が何の価値も持たない世界が1日も早く実現すればよいと思う。

一つ名言を引用。エルビス・プレスリーの言葉。
「人生をあまり深刻に考えてはいけません。だって生きたままそこから逃れられる人は絶対にいないのだから」誰もがこう思ったらたぶん戦争は起こらない。



2022年2月3日木曜日

AS WE SEE IT

たまには絵を描く事について。カラーで絵を描く場合、自分が用意する絵の具は7種類。チタニウムホワイト、マースブラック、バーントアンバー、バーントシェンナ、イエローオーカー、ペイニーズグレー、フッカーズグリーン、(特に多く使う白と黒はペンキを混ぜて量を増やして使う)。上記順番を日本語で書くと、白、黒、茶、赤茶、黄土色、青灰、濃緑。風景、人物、静物、なんでもこの7色しか使わない。青系はペイニーズグレーと云う青っぽいグレーで代用して、赤系はバーントシェンナ(赤茶)で代用する。この7色に決めてもう10数年経っているので、あらゆる混ぜ方を試して来たけど、まだまだ未知の可能性があると思っている。

画材店に行って絵の具セットを買おうと思えば大抵は12色セットからで24、36と増えて行く。なので7色では足りないのでは?と思うかも知れないけど、って云うか全然足りないんだけど、 多分自分はその不足した中で「意図した色のように見える」ように描く事に興味があるのだと思う。色の重ね方、並べ方、濃淡の付け方、で燻んだ赤茶色を鮮やかな真っ赤に見せる事が可能だと思うから。更に云うと、鮮やかな真っ赤を意図して「鮮やかな真っ赤」の絵の具を塗るのは多分見当違いだと思う。それは云い方を変えると「調和」と「主張」について考える事に通じる。例えばとても綺麗な色の花を見たら、あれこれ絵の具を混ぜ合わせてその花と同じ色を作ろうとするよりも、なぜ綺麗に見えたのか?なぜその色が美しいと感じたのか?を考える方が、自分には面白いのだと思う。

話題を変えて、最近思ったどうでもいい事について。一昨年〜昨年辺りから、スーパーもコンビニもユニクロもセルフレジ?が急速に広まった。スーパーやユニクロには特に疑問は感じないけどコンビニはどうなのか?レジの兄ちゃんがボサ〜っと突っ立ってる前でモソモソと商品を手持ちの袋に入れつつ金をレジに投入していると、「分担作業のバランス」が取れていない気がしてならない。兄ちゃん側も手持ち無沙汰ではないだろうか?以前のレジに比べて釣銭を手渡しする際の誤差はなくなると思うし、手に触れたもののやり取りを減らす側面もあるかも知れないけど、他にどんな利点があるんだろう?少なくともレジの流れが迅速スムーズになっているとは全く思えないし、店員が他の作業に従事出来るようになっているとも思えないけど。、、そう云えば自分が子供の頃は「ポスレジ」やバーコードによる商品管理はまだなくて買う物の金額を一つずつキーで打ち込んでいた、あの頃は入力での誤差もあって釣銭渡しでの誤差もあった。自分も高校生の頃レジ打ちのバイトをしていて、ミスをしてレジ締めの時誤差を出すとマイナスだった場合自腹で補填しなきゃいけなかったから、レジ打ちにはとても気を使った覚えがある。そうか、やはりそう云うストレスを完全に無くす事が目的なのか?、、ともかくコンビニは変わり方が中途半端で店員が何もせずに目の前で見てるだけって状況を、店員とお客双方がもっと快適に使えるように改善するべきだと思う。

約3年前から使い始めたスマホ。ここ数ヶ月は毎月の引き落とし料金が¥150。月に500MB以下の使用だと基本料が¥0になるかららしいけど、そんなんで大丈夫なのか?と妙に心配。あまり出かけないので家のwifiを使ってる結果に過ぎないのだけど。

相変わらず1日40~50分程度の映画かTVドラマを鑑賞中。最近見始めて面白い(と云うと語弊があるけど)TVドラマ「AS WE SEE IT」 こう云う内容のTVドラマは自分が若い頃は作られなかっただろうと思う。精神障害(と簡単に括ってしまうのは良くないと思うけど便宜上)に対して社会がオープンになるのは良い事だと思うし、こう云うドラマが作られるようになったのはその小さな一歩かも知れない。本当に些細なきっかけで自分も誰でも、が同じ状況になり得ると知るのは大切だと思う。邦題よりも原題を直訳した方が好きだな。「私達がそれを見ると」

話は変わって、2月8日(火)〜2月22日(火)まで福岡県久留米市のLinen+roomと云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022 Linen+room
福岡県久留米市瀬下町165-2
Open12:00 / Close17:00


2022年1月24日月曜日

虚無

晴れた午後、納税の為とても不便な場所に在る市役所へ行かなくてはならず、散歩がてら家人と出かける。よい天気だけど寒い。傾いた陽光が眩しい。たいした会話もせず黙々と歩く。ウチの近所は坂が多く平坦な道は殆どないのでブラブラ歩いているだけでよい運動になる。20分くらい歩けば身体は暖まってくるけど、随分薄着で出かけてしまった家人がいつまでも寒そうにしているので、自分のマフラーを貸したら嬉しそうに微笑った。その様子があまりに嬉しそうだったのでなんだか泣けてきた。俺は何もして来なかったんだな。

家人と出会った時、相手は19歳、自分は22歳、37年前の夏だった。あれからどれだけの道を並んで歩いただろうか。あれから一緒にいくつの列車に乗っただろうか?いや、そんなに善い事ばかりじゃない。いったいどれだけ傷付けあったのだろうか?

若い頃は誰だってあらゆる事柄に意味を求める。なんの為に描くのか?奏でるのか?なんで一緒にいるのか?なんで自分は生まれて来たのか?、、でも10年続けたらどうなるのか?は10年続けた後にしか分からない。気が付けば37年後の風景を、今一緒に見ている。

自分にとって絵を描く事も音楽をする事も好きで続けているだけで別に意味なんかない。自分は子供がいないので、そもそも自分の人生に意味があるなんて思わなくなって久しい。でもこの風景だけはそんな風に割り切れない。 

税金は吐き気がするほど高かった。



2022年1月20日木曜日

思い出の人?

稀に際立った印象を自分に残す人物がいる。 自分が興味を持っている分野に通じた人ではないし、自分にとって特に必要な人でもなく、ただほんの数秒言葉を交わしただけの相手なのに、その数秒の会話でその後長年忘れられない印象を残すような人。

確か2003年頃、住んでいたアパート近くのセブンイレブンに安田さんと云う店員がいた。当時自分は40歳くらいで安田さんは多分20歳前後の女性なんだけど、太って大柄で顔は浅黒く髪はあまり手入れされていない金髪で、腫れぼったい一重まぶたの眼光が異様に鋭く、いつも太々しい薄笑いを口元に浮かべているような人だった。簡単に云うとヤンキーの親玉タイプ。他の店員もヤンキータイプ数名で皆安田さんの子分のような働きぶり。安田さんの目配せだけで皆が動いているのが分かるので。だが無論店長ではない。店長はしょぼくれた感じの還暦くらいのおじさんだった。

自分は毎日のようにミネラルウォーターや菓子パンを買いに行っていたのだけど、ある時からなぜか安田さんに妙な営業トークを投げられるようになる。「今日から恵方巻き発売になってるんですけど一本いかがですか〜??」と薄笑いを浮かべながら眼光鋭く訊ねられる、でも「いや、今日はいいです、、」と毎回断っていた。春頃から続いた営業トークに慣れて来た梅雨頃にまたトーク。「お中元用に水羊羹の詰め合わせが入荷しました!いかがでしょうか〜??」「いや、お中元送る習慣ないので、、」「いえいえ、最近は自分に送るってのもアリなんでっ!!どうですかぁ〜〜??」としつこい。相変わらず腫れぼったい目は眼光鋭く口元はニヤニヤしている。「いや〜、羊羹苦手なんで、、」と云ってそそくさと店を出た。

帰って家人にその顛末を報告すると「完璧になめられてるわね」とあっさり云われ、やっぱりそうか、と得心。40歳のおっさんがなんで20歳前後の太ったヤンキーになめられてるんだろう?と不思議に思った家人も「安田さん」を確認しに行った後、「あれは全く敵わないからもし嫌なら違うコンビニに行った方がいいよ」と云われセブンイレブンにはしばらく行かなくなったら、1年後にその店は潰れた。そうか安田さんはカモを見つけては店の存続の為にがんばっていたのだろうか?いや、でもな、自分にお中元送るのは無いだろう?やはり。

今でもたまに思い出す安田さん。もう40歳近いだろう、当時の自分と同じくらいかも知れない。強烈な印象を残した人だった。会いたくはない。 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Because you choose, a memory exists.
思い出はあなたが選択したから存在する。

 

話は変わって、大阪 noji+でのイラスト展がおかげさまで無事終了しました。足を運んでくださった皆さん、気に留めてくださった皆さん、お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。


 

2022年1月8日土曜日

リリーのすべて

年明けからあっという間に1週間。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。楽しい1年になりますように。

このところ浅はかな映画感想文ばかりで恐縮ですが今日も同じく。少しネタバレあります。

「リリーのすべて」を観た。 自分にとって理解し易い内容ではなかったけど観てよかった。心の性別と身体的性別が一致しない事は自身の内外から当人と身近な人々を苦しめるのだと想像は出来ても、しっくりと理解するのは難しい。対して伴侶がそうだった場合の、自分の理解の外側を受け入れる事の困難の方が自分には近く思い描く事が出来るので、どうしても感情移入するのは奥さんの方にだった。

リリーを演じたエディ・レッドメインは以前ホーキング博士を演じた映画で知った。緻密な役作りで機械のように正確な演技はとても緊張感があって見応えがある。先日書いたクリスティン・スコット・トーマスも似たタイプ。奥さんゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルは同じように緻密でありながら更に人間臭い温もりのある演技で凄い人だなと思った。付け加えると実際のゲルダ・ヴェイナーに顔立ちもかなり近い。

リリーが鏡に向かって自身の肉体に対する違和感を露わにするシーンはいかにも強烈なシーンを撮ろうと云う演出に思えて要らないなと思う。こう云うシーンが無ければもっと映画の内容に入り込めるのにと思うけれど、インパクトのあるシーンを設ける事がスポンサーを納得させるのに必要なのだろうか?分からない。 

登場する絵画作品は映画の為に用意されたもので、実際に残されている作品とは違うのだと思う。かなり丁寧に準備されたのは分かるけど、でもイマイチだったな。

素晴らしかったのはラスト。リリーの故郷の荒涼とした風景に居場所を求めて叶わなかった魂が吸い込まれて行く。とても寂しいシーンだけれどゲルダの表情が素晴らしく、双方にとってこれが「救い」だったのだと心に残った。「知る」事はいつも経験に間に合わない。

時代背景を考えると、とてつもなく困難な闘いに挑んだ人だったと思う。今はトランスジェンダーと云う言葉をよく見聞きするようになって理解が広がったとは思うけど、まだまだ偏見が多いのだから、観れてよかったと思った次第。

話は変わって、1月9日(日)〜1月16日(日)まで大阪のnoji+と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022
noji+:大阪府池田市鉢塚1-10-3-2階

When I meet a strange memory.
Knowledge function more late than experience.

私が見知らぬ記憶に出会う時、知識は経験より遅れて機能する。