2022年4月26日火曜日

三寒四温

三寒四温の時期は雨が多いけど今年は例年以上の多さ。今日も雨。年を取ると体調が如実に天候に左右されるので今時分は振り回され気味。

年を取って衰えるのは体力だけじゃない。考え理解し記憶する力は25歳頃がピークで以降は徐々に衰えるとの説もある。確かに40歳過ぎた頃から込み入った事を考えるのが面倒に感じるようになって「40過ぎたらもう楽しい事しか考えたくなくなった」なんて云いながら一丁前の中年を気取っていたけど、今にして思えば40歳はちゃんちゃら若く30歳と大した違いはない。50歳過ぎた頃から体力思考力共に衰えをビリビリ感じるようになって、近所をジョギングしてみてあまりのキツさにあっという間に挫折したり、市販の知能テストを買ってきてやってみたりした。自慢するわけじゃないけど知能テストはIQ140とか結果が出るけどどう考えても大甘な結果に思うので、きっと購買者を喜ばせるように設定されているのだろう。

加齢に対する実感は情けない話に終始してしまうけど、思考力については衰えるばかりではないとも思う。物事に対する「根気」みたいなものは経験と共に進歩する(部分)もあるんじゃないかと。いつもと似た物言いになってしまうけど、10年何かに取り組んだらどうなるかは10年やってみなくちゃ分からないのと同じで50年生きたらどうなるかは50年生きてみなくちゃ分からない。若い頃は経験が少ないので予測で物事を測ろうとするけど、どれほど天才的な若く明晰な頭脳を持ってしても、実際に経験して得た実感には及ばないと思う。とは云え若者に先輩風を吹かせる気は毛頭ない。そんな物言いが、風のように走り計算機みたいなスピードで暗算する若者に何の意味も持たない事も自分は「経験」しているから。

分かり易い例えとして、若い頃立て続けに名盤を発表したボブ・ディランはまさしく天才的な洞察力で自分の親よりも年配の人間の心情を見事に表現した。でも近年の作品の方が遥かに深く染み入るような諦観を現していると思う。

話は変わって5月1日(日)〜5月15日(日)まで青森県八戸市のソールブランチ新丁と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

「西脇一弘 イラスト展 2022」
5月1日(日)〜5月15日(日)
ソールブランチ新丁
青森県八戸市小中野8丁目8-40
phone:0178-85-9017




 

2022年4月8日金曜日

支え合うこと

こんな事云ってもしょうがないのは分かってるけど、世の中の「便利さ」と「管理」が一緒くたに押し寄せてきて度々途方に暮れる。

例えば自分は売り買い共にメルカリを利用しているけど、スマホは画面が小さくて老眼には厳しいのでPCで使ってる。しかし先日突然売上金の現金振り込み申請はスマホからしか出来なくなったと云われ、仕方なくアプリを入れてスマホで申請した。こんな感じで当面はある程度の「選択肢」があるように見えるけど、結局は全てのユーザーを都合の良い方向へ纏めてしまうのがなんだか腑に落ちない。こんな事を感じる自分は世の中に「ついて行けてない」のはよく分かっているし、安全性や利便性を優先してるのも分かるけど、世の中の皆さんはすんなり納得出来ているのでしょうか??

スマホにアプリを入れるのを敬遠していたのは老眼だけではなく、自分のスマホはヤフオクで安く買った旧い機種で32GBしかないのでなるべくアプリは少なくしたいのもあった。単純に世の中の便利さについて行くにはそれなりの金がないと無理って話なのか、。

金がない年寄りは詐欺に遭う心配がなくてよいけど「便利な世の中」はある程度諦めるしかないんだろうな。 自分は別にそれでも構わないけど「出来ていた事が突然有無を云わさず取り上げられてしまう」のはやっぱり納得出来ない。だって大抵は「新たなサービス」に含まれる膨大な量の手数料の為の力技だと思うから。でも今後こんな事例はどんどん増えるんだろうな。

話は変わって最近スティーヴ・ジョーンズの本が出版されたりセックスピストルズの伝記映画?が出来たりしてちょっと話題になっている。自分はそれほど好きだと思った事はないけれど、中学〜高校がリアルタイムだったのでそれなりには聴いた。好きな友達も多かったし。痩せこけたネズミみたいだったジョニーロットンはずいぶん恰幅のよい爺さんになったけど語り口は相変わらず。数年前に長年連れ添った奥さんがアルツハイマーになって介護していると云う記事を読んだ。「俺はフルタイムで彼女の介護をしている。誰にも彼女の頭を混乱させはしない。俺にとっては、真の彼女はまだそこにいるんだ。俺が愛する人物は毎日、どの瞬間にも存在する。これが俺の人生だ。彼女が物事を忘れてしまったのは残念だが、俺らみんな、そんなもんだろ?」

苦労の真っ只中、「これが俺の人生だ」と云える豊かさ。相手を愛し支える事が自分を支えている。 若い頃にこんな事に気付くなんて、少なくとも自分には到底無理だった。年を取る事が惨めな事ばかりじゃないって教えてくれる。

話は変わって、4月9日(土)〜4月30日(土)まで岡山県瀬戸内市の喫茶さざなみハウスでイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022 @喫茶さざなみハウス
4月9日(土)〜4月30日(土)
岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539
営業:8:00〜16:00(土・日は17:00まで)
定休日:月・火曜日
Tel:080 2923 0871



 

2022年3月23日水曜日

名演とは?

近年は音楽の聴き方が多様化して選択肢がやたらと多い。サブスクは便利と思うけど未だ馴染めない。CDは変わらずよく聴くけど、興味があっても買わずにYouTubeですませてしまう事も多くなった。自分世代はアナログレコードが良い音なのは知っていて馴染み深いけど、自分はそう云う方向への熱意?があまりなくおもちゃみたいな再生装置しか持っていない。昔もLPは本と並んで引越しの悩みの種だったのでレコードと本はなるべく所有しないように心がけていた(買ったら売るを繰り返すわけ)。そんなわけでwavやmp3への移行はモノが増えない点では大歓迎だけど。

書こうと思ってた事と話がズレてしまった。話を戻すと自分はここ15年くらいはYouTubeで音楽を聴く事が多くなっていて、その利点は音源をなんらかの形で流通させるような活動をしていない人達の音楽(演奏)が聴けるところ。例えばブラジルやアルゼンチンのたぶん毎日地道に働いている労働者風のおじさんが、仕事を終えて帰宅して台所でビール飲みつつご機嫌でギター弾いて歌っている動画なんかを観るのが好きなのだ。それは古いショーロやサンバの曲だったりして、おじさんにとっては心身に染み付いたような歌で、その歌声はとてもアツい。人によってはプロか?と思うくらい上手い人もいるけれど、その思い入れの溢れ具合によってむしろアマチュアだと分かったりする。プロの演奏としては自分の感情に耽溺し過ぎているのだね。

こんな感じのおじさんは日本人にも結構いて、自分には長年追いかけて動画を楽しみにしている人もいる。自分と同じくらいの年齢に見える人で、たぶん普段は固い会社勤めか公務員かなと思われる風貌で、10年以上前から観ているので最近随分老けたな〜とか他人事とは思えなかったりして、自分世代には当たり前に親しんで来た70年代のカーペンターズなんかの名曲ポップスをギターでしみじみと弾いている動画を拝聴している。おじさんの唯一の趣味なのかも知れないギター。動画の背景は随分むさ苦しい散らかった部屋で、最近髪の毛が薄くなって風采の上がらなさに拍車が掛かっている。長年弾いているのでギターの腕前は相当なものだけど、たぶんライブをした事はないと思う。奥さんや子供は居るのだろうか?プライバシーが分かるような情報は一切ない。でもカメラの前のその熱過ぎる演奏から、おじさんがどれほど音楽に救われて生きて来たのかが分かるのだ。そしてその演奏は著名な音楽家の演奏を凌ぐほどに感動的だ。音楽は人を選んだりしない。もっと大きなものなのだね。


 

少し長くなるけど、話は変わってまた思い出話。近年は機会が減ったけど、以前は演奏ツアーやレコーディングが度々あった。若い頃はバンド解散やメンバー脱退のきっかけは大抵演奏ツアーかレコーディングだと皆で認識していた。1週間を超える演奏ツアーは過酷だ。演奏後は毎晩安居酒屋で打ち上げて安宿で雑魚寝しておんぼろ機材車に乗って次の場所へ行って演奏、また同じ事の繰り返し。最初は皆気遣い合ってご機嫌に過ごすけど、3~4日経つと気遣いの箍が外れて、酒やその他の作用が我儘放題に追い打ちをかける。疲労困憊でツアーから戻って2~3日すると「オレ悪いんだけど抜けるわ」って云い出すメンバーがいるわけ。実は自分もまさしくそうやってバンドを辞めた。

レコーディングは精神面でさらに過酷。後々残って繰り返し聴くものを制作するので、演奏に対するエゴのぶつかり合いが多い。皆で一斉に演奏〜録音の場合はメンバー全員が納得出来る演奏テイクはまずないので、どのテイクにするかの問答での駆け引きが様々なストレスを生む。パート毎に別々に録音して行く場合は、先に録音するベーシック側(ドラムや伴奏パート)は後のパートが録音した後に自分のパートをやり直すのはご法度なのだが、それをやってしまって揉めたりする。後からパートを重ねる側は既に録音されているパートを聴きながら演奏するので、後出しジャンケンのような、イタチごっこのような、身勝手さが生じるわけ。そんな風にレコーディング作業はメンバー個々の身勝手さを浮き彫りにするので、やはり「オレ抜けるわ」のきっかけになり易い。自分もsakanaをやっていた間、何度もそのような気持ちになった(勿論自分が身勝手な側の場合も何度もあった)けど、レコーディングがきっかけでメンバーが脱退した事はなかった。でも近年他のプロジェクトの録音作業で同じような目にあって、相手のあまりの無自覚さに辟易して辞めた。

演奏ツアーも音源制作の為のレコーディングも順調に行ってる時はホントに楽しいけどそれは一瞬。最後までやり抜くには難しい場面をどう切り抜けるか、の方が重要。音楽の場合は人との関わりの難しさが多いけど、絵のように一人でやる事が大半のものでも共通してると思う。「うまくやる事」より「うまくやれなかった時どうするか?」だよね殆どの事は。「うまくやる」ってエゴから離れないと良い方向へは行けない。

2022年3月18日金曜日

ROCKER

幸せは、何十年も共に過ごして来た相手と同じ思い出話を何百回も繰り返す事、台所で交わす気にも留めない会話、並んで歩いた何千キロの道、その他さまざまな永遠に繰り返したい事柄、始まりにも終わりにも気付かないほどに。

誰の生活も等しく守られますように。戦争反対。天災を事前に防ぐのは難しいとしても、救援支援補償が迅速に行き渡りますように。

話は変わって、先日書いたオートレジが困難に直面しているらしい。大量の硬貨を投入されて機械が詰まる事例が相次いでいるそう。それには銀行が硬貨の預け入れに手数料を取るようになったのが関係しているらしい。逆両替、。その他にもいろいろ問題あると思うんだよな、未だ完成には程遠い仮システムな感じがする。

また話は変わって昔話。
18歳の頃、高校出たらいっちょバンドやるぜと思ってて、友達を誘い込もうとがんばってて、 この時点で思ってた「バンド」って所謂ロックバンド。特に意識してたわけじゃないけど、それまでの自分が好きだったバンドの大半はロックバンドだったから。でもロックバンドもしくはロックって言葉にはなんだか音楽以外の情報がいろいろ含まれる。今はそんな事ないかも知れないけど当時'80年代半ば頃はそうだった。

現在の自分はこんな風には考えないけど、当時の自分はロックバンドもしくはロッカーは格好付ける前提で成立するものと理解していた(ファッションや見た目の事ではありません)。無論、気さくでオープンな人は沢山いるし、格好付けるなんてダサいぜって云う人も多いし、わざわざ露悪的になってみっともない自分を曝け出す人も多い。そもそも「格好良い」なんて「当たり前」の価値観は格好悪いって人の方がロック好きには多い気がするけど、でもそう云うの全部含めて、やっぱり格好付けるって事だと思った。違う云い方をすればいろんな意味で「賢い」必要があるって事。バカっぽい振る舞いはOKだけどバカじゃダメって感じ。そうじゃないと格好付けてもサマにならない。対して自分はロッカー?になるにはあまりにも凡庸で小心で猜疑心や反抗心に欠けていた。そしてうっかりミスの多い自分はいくら格好付けてみてもすぐに台無しな失敗を繰り返すと容易に想像出来たので、自分にはちょっと無理かな〜と思いながらも、当時は知人に誘われてロックバンド然としたバンドに参加したりした。

よい思い出も嫌な事もあったけど結局長続きせずそのバンドはやめた。それに比べて自分で始めたバンドは「 なんでもいいから何か自分(達)に出来そうな音楽を探そう」と考えてsakanaと名乗って35年続いた(こちらもよい思い出と嫌な事はテンコ盛りだったけど)。結局出来そうな音楽は未だ見つかっていないけど、今もそれなりに楽しんで探索を続けている。

なんで今になってロックバンドについてこんな事書いてるかと云うと、近年のSNSによって昔の知り合い音楽家の多くが今も健在で元気に活動している情報を知り、そのロックバンドぶりを頼もしくも羨ましくも思うからだ。彼らは若い頃から自分とは違ってたような気がする。でも年取ってよかったのはその違いがどうでもよくなった事だね。 



 

 


2022年3月1日火曜日

前回に続き絵を描く事について。
35年以上も絵を描いているけど、何かを「掴んだ」と思える事は一つもない。でも絵を自分の思い通りにしようした途端に上手く運ばなくなるって事だけは分かった気がする。、、まあなんでもそうか。自分の思い通りにではなく、相手にとってどうするのがよいかを考えれば、わりとスムーズに進むよね。別の云い方をすれば、真っ新の紙に下描きの線を一本引けば、それは紙ではなく絵になって、自分の思い通りにはならない他者になる。別にいい人ぶるわけではなくて、その方が自分にとってよいって事。

超大物を引き合いに出して恐縮だけど、こう云う事をスーパー達人レベルで実践したのがピカソだと思う。ピカソの作品は「天才の力技」のように見えるかも知れないけどそうではなくて、つい思い通りにしようとする自分の強引さやワザとらしさを丁寧に払拭した成果だと自分には思える。でもそれを言葉通りに実現出来てしまうからやはり天才。コクトーは「優れた作品は創られる前から在る」と云ったけど、まさしくピカソの作品を現してると思うな。

今日から3月。ここ数日は春めいた暖かい日が続いてる。でもロシアのウクライナ侵攻は世界の何処かではいつの時代も戦争紛争が絶えない事を再び思い起こさせる。馬鹿げていると思うだろうけど、「勝ち負け」や「損得」が何の価値も持たない世界が1日も早く実現すればよいと思う。

一つ名言を引用。エルビス・プレスリーの言葉。
「人生をあまり深刻に考えてはいけません。だって生きたままそこから逃れられる人は絶対にいないのだから」誰もがこう思ったらたぶん戦争は起こらない。



2022年2月3日木曜日

AS WE SEE IT

たまには絵を描く事について。カラーで絵を描く場合、自分が用意する絵の具は7種類。チタニウムホワイト、マースブラック、バーントアンバー、バーントシェンナ、イエローオーカー、ペイニーズグレー、フッカーズグリーン、(特に多く使う白と黒はペンキを混ぜて量を増やして使う)。上記順番を日本語で書くと、白、黒、茶、赤茶、黄土色、青灰、濃緑。風景、人物、静物、なんでもこの7色しか使わない。青系はペイニーズグレーと云う青っぽいグレーで代用して、赤系はバーントシェンナ(赤茶)で代用する。この7色に決めてもう10数年経っているので、あらゆる混ぜ方を試して来たけど、まだまだ未知の可能性があると思っている。

画材店に行って絵の具セットを買おうと思えば大抵は12色セットからで24、36と増えて行く。なので7色では足りないのでは?と思うかも知れないけど、って云うか全然足りないんだけど、 多分自分はその不足した中で「意図した色のように見える」ように描く事に興味があるのだと思う。色の重ね方、並べ方、濃淡の付け方、で燻んだ赤茶色を鮮やかな真っ赤に見せる事が可能だと思うから。更に云うと、鮮やかな真っ赤を意図して「鮮やかな真っ赤」の絵の具を塗るのは多分見当違いだと思う。それは云い方を変えると「調和」と「主張」について考える事に通じる。例えばとても綺麗な色の花を見たら、あれこれ絵の具を混ぜ合わせてその花と同じ色を作ろうとするよりも、なぜ綺麗に見えたのか?なぜその色が美しいと感じたのか?を考える方が、自分には面白いのだと思う。

話題を変えて、最近思ったどうでもいい事について。一昨年〜昨年辺りから、スーパーもコンビニもユニクロもセルフレジ?が急速に広まった。スーパーやユニクロには特に疑問は感じないけどコンビニはどうなのか?レジの兄ちゃんがボサ〜っと突っ立ってる前でモソモソと商品を手持ちの袋に入れつつ金をレジに投入していると、「分担作業のバランス」が取れていない気がしてならない。兄ちゃん側も手持ち無沙汰ではないだろうか?以前のレジに比べて釣銭を手渡しする際の誤差はなくなると思うし、手に触れたもののやり取りを減らす側面もあるかも知れないけど、他にどんな利点があるんだろう?少なくともレジの流れが迅速スムーズになっているとは全く思えないし、店員が他の作業に従事出来るようになっているとも思えないけど。、、そう云えば自分が子供の頃は「ポスレジ」やバーコードによる商品管理はまだなくて買う物の金額を一つずつキーで打ち込んでいた、あの頃は入力での誤差もあって釣銭渡しでの誤差もあった。自分も高校生の頃レジ打ちのバイトをしていて、ミスをしてレジ締めの時誤差を出すとマイナスだった場合自腹で補填しなきゃいけなかったから、レジ打ちにはとても気を使った覚えがある。そうか、やはりそう云うストレスを完全に無くす事が目的なのか?、、ともかくコンビニは変わり方が中途半端で店員が何もせずに目の前で見てるだけって状況を、店員とお客双方がもっと快適に使えるように改善するべきだと思う。

約3年前から使い始めたスマホ。ここ数ヶ月は毎月の引き落とし料金が¥150。月に500MB以下の使用だと基本料が¥0になるかららしいけど、そんなんで大丈夫なのか?と妙に心配。あまり出かけないので家のwifiを使ってる結果に過ぎないのだけど。

相変わらず1日40~50分程度の映画かTVドラマを鑑賞中。最近見始めて面白い(と云うと語弊があるけど)TVドラマ「AS WE SEE IT」 こう云う内容のTVドラマは自分が若い頃は作られなかっただろうと思う。精神障害(と簡単に括ってしまうのは良くないと思うけど便宜上)に対して社会がオープンになるのは良い事だと思うし、こう云うドラマが作られるようになったのはその小さな一歩かも知れない。本当に些細なきっかけで自分も誰でも、が同じ状況になり得ると知るのは大切だと思う。邦題よりも原題を直訳した方が好きだな。「私達がそれを見ると」

話は変わって、2月8日(火)〜2月22日(火)まで福岡県久留米市のLinen+roomと云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022 Linen+room
福岡県久留米市瀬下町165-2
Open12:00 / Close17:00


2022年1月24日月曜日

虚無

晴れた午後、納税の為とても不便な場所に在る市役所へ行かなくてはならず、散歩がてら家人と出かける。よい天気だけど寒い。傾いた陽光が眩しい。たいした会話もせず黙々と歩く。ウチの近所は坂が多く平坦な道は殆どないのでブラブラ歩いているだけでよい運動になる。20分くらい歩けば身体は暖まってくるけど、随分薄着で出かけてしまった家人がいつまでも寒そうにしているので、自分のマフラーを貸したら嬉しそうに微笑った。その様子があまりに嬉しそうだったのでなんだか泣けてきた。俺は何もして来なかったんだな。

家人と出会った時、相手は19歳、自分は22歳、37年前の夏だった。あれからどれだけの道を並んで歩いただろうか。あれから一緒にいくつの列車に乗っただろうか?いや、そんなに善い事ばかりじゃない。いったいどれだけ傷付けあったのだろうか?

若い頃は誰だってあらゆる事柄に意味を求める。なんの為に描くのか?奏でるのか?なんで一緒にいるのか?なんで自分は生まれて来たのか?、、でも10年続けたらどうなるのか?は10年続けた後にしか分からない。気が付けば37年後の風景を、今一緒に見ている。

自分にとって絵を描く事も音楽をする事も好きで続けているだけで別に意味なんかない。自分は子供がいないので、そもそも自分の人生に意味があるなんて思わなくなって久しい。でもこの風景だけはそんな風に割り切れない。 

税金は吐き気がするほど高かった。