2020年5月26日火曜日

独り言

僕は小学校入学〜4年生頃まで独り言の多い子供だった。ある日、母親に町内回覧板を2軒隣の**さんの家に届けて来てと頼まれる。当時僕の住んでいた田舎町は、外出時にも施錠する習慣がないような長閑な土地柄で、勝手に玄関を開けて「**さん、回覧板持って来ました〜!」と声をかけるのだ。しばらく待っても応答がないので、小さな声で「**さん留守なのかな?」「いや、いつもこの時間はおばさんがいるはずだよ?」「うん、そうだよね、おかしいね、何処に行ったんだろうね?」などと、一人二役で延々と会話をするのだった。しばらくすると**さんのおばさんが突然出てきて「あんた、ずっと誰かと喋っていたろう?誰と話してたんだい?」と問い詰められて、ビックリして何も答えられずに固まってしまう。おばさんは更に追い討ちをかけるように「気味の悪い子だね、お母さんに云って注意してもらわないと、」と云って僕を家に引っ張って行って母に事の次第を告げて「おかしな子だよ、何処かでちゃんと診てもらった方がいいじゃないの?」などと云って帰って行くのだった。母は幼い僕を見て「独りで楽しそうだな」と思っていたけど大して気に留めていなかったらしく、おばさんにお節介を云われた後も、人に知られると面倒だから気を付けなさいと云われただけだった。

マイペースな母とは対照的に父親は世間体を気にする短気で高圧的な人だった。上記の件も父が知れば一悶着あっただろうが、母は面倒がって何も云わなかった。父親との思い出で最も古いものはたぶん僕が2歳くらいの頃、歩くようになったので父は僕を連れて家の近所を散歩した。小さな路地で向かいから自動車がノロノロ走って来て、、未だ足元のおぼつかない僕は父に背中をポンと押されて転んでしまった。僕は車が近づいて来るのが恐ろしくて泣いてしまうのだが、父はそれを見て面白そうに笑っていた。

後で考えれば些細な事かも知れないが、この一件は僕のトラウマになったのだと思う。以降僕は父に懐かず恐ろしい存在として身構えた。懐かない子供は可愛くなかっただろう。父は弟を可愛がる一方で、勉強はさっぱりダメで、遊んでばかりいる僕を事ある毎に「こいつは出来損ないだな、」疎んじた。そんな僕の気晴らしは毎日学校から帰って来るとノートに絵を描いて遊ぶ事だった。勉強の為に与えられたノートに片っ端から絵を描いて埋め尽くした。なぜか動物の絵をたくさん描いた。本当は動物が飼いたかったけど、母が猛然と反対して実現しなかった。そうやって絵を描くようになって独り言はしなくなった。しかしノートに絵を描く習慣は父親のイジメの標的にもなった。何か「しでかす」度にノートを取り上げるぞ?と脅されるのだった。

僕は自己憐憫を感じていたわけじゃない。嫌なヤツは学校でもどこにでも居る。自分にはたまたま家にも嫌なヤツが居るってだけだった。ただ詰まらない毎日をどうやって楽しくやり過ごそうか?と思っていただけだ。


























大酒飲みだった父親は27年前に59歳で亡くなった。父と腹を割って話す機会を持たないままあっけなく死んだ。

20代半ば頃、バイトさぼりがちで明日食うものが無い金欠時に当時一緒のバンドで演奏していた、同じくらい金の無いヤツに1万円借りた。気のいいヤツで「いつでもいいから」と貸してくれた。なぜすぐ返さなかったのだろう?モタモタしているうちにそいつとは一緒に演奏する機会がなくなった。でも今度会ったら返そうと思っていたけど、単車が好きなそいつは900ccの大型バイクで事故を起こして死んでしまった。返しそびれた想いは心の底に澱のように残り続ける。それはおいてけぼりを食らったように残念だけど、でも先に死んでいった人達を忘れないでいられるからありがたい気もするのだ。

母は中学校に入学した直後に父親を自殺で亡くしている。その事が辛くて母は成人するまでの間、いつどうやって死のうか?そればかり考えていたそうだ。(僕の)父があっけなく亡くなった時、ずっと長い間不仲だった母は何を思ったのだろうか?そんな母は今85歳でおかげさまでなんとか元気にしている。何を思ってどう生きたって人の一生はあっと云う間だ。ただ想いだけが行き場を失う。





















2020年5月22日金曜日

上機嫌

緊急事態宣言が各地で少しずつ解除されている。でも東京、神奈川は月末まで続くのだろう。

コロナに感染して亡くなった人、仕事にならず収入が途絶えて、生活の術を失い諸々の責任を果たせず自殺した人、家族や大切な人をそうした理由で失った人、達の事を考えると不謹慎かも知れないけど、世の中は立ち止まって考える機会を得たのだとも感じる。生産と消費を物凄い勢いで繰り返し続け、誰もがもう少し金があればマシな生活が出来るのに、と思い込まされ、追い詰められて無理やり生活しているのがこれ以上続けられないところまで来ていたのかも知れない。これからどんな風に変わって行くのか?楽観的にはなれないけど、もう今までの様な競争使い捨て社会を続けて行くのは不可能ではないかと。さもなければより熾烈な競争社会になって自分みたいな人間はあっという間に淘汰されるのかも知れないけど、そうじゃないといいな。

話は変わって「10万円給付金」の申請をしようと思い市役所サイトを調べたら、僕の住む市では個人番号カードがあればオンラインで申請出来ると云う。なので実行しようと思ったら、手持ちのパソコン、スマホではブラウザ環境が不十分なので利用不可だった。個人番号カードを入手する為に随分面倒な手続きを3年くらい前に行った覚えがあるんだけど、カードは今のところあまり役に立っていない。郵送申請は申請書が5月22日以降順次郵送されて来るとの事。ちゃんと届くか?しばらく待ってみよう。因みに不評マスクは届いていない。要らないから届かなくていい。

話は変わって、治療工程の都合で3日おきに歯医者へ通う。大きな虫歯治療なので毎回麻酔を打たれて結構堪える。もの凄く痛い事が痛くないんだから麻酔って強い薬だよね。切れた後ぐったりする。痛みは感じないで済んでいるけど、身体は痛みに伴うはずのダメージを受けている気がする。しかし日々の作業を怠ると後で自分を追い詰める事になるので、その日の分の仕事はなんとか終える。

絵を描いてギターを弾くのは突き詰めれば自分が上機嫌でいたいからなんだと思う。不機嫌はよくない。自分の事しか考えなくなるから。

佐賀県の12(douze)にて開催中のイラスト展は24日(日)まで、残すところあと僅かです。難しい状況の中、足を運んでくださった皆さん、熱心に展示してくださっているお店の方々、どうもありがとうございます。よろしくお願いします。














2020年5月4日月曜日

小さな娯楽

5月になった途端に暖かくなったけど事態は好転せず。緊急事態宣言は月末まで延長と云われている。ゴールデンウイーク真っ只中だけど、ウチの近所は人通りなくまるで元旦のような静けさ。

収入減になった人への補償問題が気になるけど、取り敢えず国保と年金の減免・猶予を申請しようと思う。年金はすでに半額減免になっているのでこれ以上は無理かも知れないけれど。

食べるものは近所のスーパーで買えるけど、いつも行く画材店が休業で画材が買えないのが困る。自転車操業的?に絵を描いているので画材の買い置きはせいぜい1カ月分。4月中画材が買えなかったので底をついている。通販も可能だけど、画材店の通販サイトはすこぶる探し難い。細々と品数が多く分類が多岐に渡って、正確な商品名や品番が分からないと探し当てるのは至難の技、普段いろいろ通販を利用しているけど画材だけはお店に買いに行く方がだんぜん楽。しかしそうも云ってられないので頑張って注文してみたら、通販大混雑らしく納品まで2週間くらいかかると連絡が来た。仕方ないけどその間作業しないわけにいかないので、手持ちの画材を勿体ぶって使いながら2週間制作を続けよう。

家から出るのは昼間人通りを避けて近所を散歩するか夕方駅前のスーパーに買い物に行くだけ。しかしそう1日中ベッタリ絵を描いているわけにもいかないので(近年の体力気力的には1日8~9時間が限度だと思う、それ以上は緊張感が持続しない。若い頃は15時間くらい描いていられたのに)、ちょっとした娯楽と云うか気晴らしがほしいと思う。で、最近は度々アマゾンプライムで映画やテレビドラマを観ている。映画は頻繁だとボリュームあり過ぎだけど、テレビドラマの50分前後は丁度いい。

子どもの頃家にテレビがなかったのでテレビを見る習慣がなかったけど、夏休みなどに親戚の家に行くとテレビがあって、ここぞとばかりに見て楽しかった。なぜか海外のテレビドラマが特に面白かった覚えがある。僕が小学生の頃は「刑事コロンボ」なんかがリアルタイムで放送されていた。

近年のテレビドラマははっきりと主人公の年齢がイコールでターゲット年齢層だと思う。映画もある程度そうだけどもっと幅が狭い。だから自分が観る場合主人公が40~50代もしくはそれ以上なら違和感なく観れるけど、20代や30代だとさっぱり入り込めず1話を観るのも困難。でも基準がハッキリしていて選び易くて便利。等々、。

話は変わって宣伝ですが、
5月7日(木)〜5月24日(日)まで佐賀県佐賀市の12(deuze)と云うお店でひっそりとイラスト展をさせてもらいます。新作中心で、大判の人物画6点、中判の版画風作品20点、小さな作品30点を展示する予定です。事態の収束を願いつつ、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします。

「西脇一弘 イラスト展 @12(deuze) 2020」5月7日(木)〜5月24日(日)
12(douze):佐賀県佐賀市大財4-1-59 phone 070-5278-6724


























I don't ask the destination.
I entrust the way which should be developed to you.
So I'm free.
Am I selfish?

私は行き先を問わない
私は、あなたの発展に委ねる
従って、私は自由である
私は身勝手だろうか?


























My heart was shut in the thought.
However, I go out from there soon.

私の心は思考に閉じ込められた
しかし、私はすぐそこから出て行く


























Something to see instead of a star in the night sky.
That heartens me.
Like your look.

夜空の星の代わりに見える何か
それは私を励ます
あなたの表情のように