2020年2月6日木曜日

キングオブコメディ

前々回の投稿に追記した通り「キングオブコメディ」を観た。感想が追記するには長くなりそうなので新たに投稿する次第。(相変わらずネタバレありです)

確かに「ジョーカー」はラストだけではなく全編に渡って設定やヴィジュアルに「キングオブコメディ」からの引用をふんだんに盛り込んでいるのが分かった。それが分かっても自分にとって「ジョーカー」は面白くなかったし、逆に「キングオブコメディ」はとても面白かった。自分にとって好きな映画の一つになると思う。

どちらの映画も現実と妄想の境目が曖昧に描かれている。「ジョーカー」の最初の方で母親と一緒にTVを観ながら妄想に耽っている様は「妄想」と判る様に描かれていて、その後の様々な描写も妄想なのか?と思わせる前説のように機能している。同じアパートの住人との情事等、妄想だったと判る様に説明されるものとそうでないものの境が分からなくなって、結局ラストシーンによって全部妄想だったかも知れない的な終り方をしている。

「キングオブコメディ」はラストの「成功」は妄想として描かれているけど、それ以外は妙なリアリティがある。視点が主人公以外に据えられているのでたぶんそう感じる。云い方を変えると、主人公と観ている側にある程度の距離を作っているので、そう感じるのだと思う。

現実と妄想の境が溶け始めて「こうあるべき」秩序が外的にも内的にも壊れて行く様を描いて「他人事じゃない感」を突き付けるのが両作品の肝になっていると思うんだけど、自分にとっては「キングオブコメディ」の方が圧倒的に怖かった。家に引き籠もって毎日を絵を描いている自分だって似たようなものだ、と思わざるを得ない。さすがに最後のような成功を妄想をするほど若くはないのだけども、。

そして「キングオブコメディ」は主人公のイカれ方が陽性に振り切れているので正しくコメディで、その「犯罪に至る動機」が好きな女に格好つけたかった、と云うある意味みみっちい理由なところが哀しい。これも妄想とも取れるんだけど現実に逮捕されたと思う方が面白い。あと共犯者の痩せぎすの女性の存在がスゴく効果的で面白い。チャップリンの初期作品の太った相棒?みたいな感じ。

コメディとなると自分はどうしてもチャップリンを引き合いに出してしまう。「キングオブコメディ」の可笑しくて哀しい様と皮肉な描写は正しくチャップリン作品の後継とも思えたけど、チャップリンほど残酷ではない。「街の灯」はたぶん知っている人が多いだろうから説明はしないけど、あのラストの残酷さはスゴいなと思う。盲目だった女性の失望、あらゆる要因が繋がった最も美しい瞬間の失望。英雄であろうと見栄を張り切った浮浪者と「キングオブコメディ」の主人公には共通点も多いけれど、他者の為か自分の為か、が全く違っている。