2022年1月24日月曜日

虚無

晴れた午後、納税の為とても不便な場所に在る市役所へ行かなくてはならず、散歩がてら家人と出かける。よい天気だけど寒い。傾いた陽光が眩しい。たいした会話もせず黙々と歩く。ウチの近所は坂が多く平坦な道は殆どないのでブラブラ歩いているだけでよい運動になる。20分くらい歩けば身体は暖まってくるけど、随分薄着で出かけてしまった家人がいつまでも寒そうにしているので、自分のマフラーを貸したら嬉しそうに微笑った。その様子があまりに嬉しそうだったのでなんだか泣けてきた。俺は何もして来なかったんだな。

家人と出会った時、相手は19歳、自分は22歳、37年前の夏だった。あれからどれだけの道を並んで歩いただろうか。あれから一緒にいくつの列車に乗っただろうか?いや、そんなに善い事ばかりじゃない。いったいどれだけ傷付けあったのだろうか?

若い頃は誰だってあらゆる事柄に意味を求める。なんの為に描くのか?奏でるのか?なんで一緒にいるのか?なんで自分は生まれて来たのか?、、でも10年続けたらどうなるのか?は10年続けた後にしか分からない。気が付けば37年後の風景を、今一緒に見ている。

自分にとって絵を描く事も音楽をする事も好きで続けているだけで別に意味なんかない。自分は子供がいないので、そもそも自分の人生に意味があるなんて思わなくなって久しい。でもこの風景だけはそんな風に割り切れない。 

税金は吐き気がするほど高かった。



2022年1月20日木曜日

思い出の人?

稀に際立った印象を自分に残す人物がいる。 自分が興味を持っている分野に通じた人ではないし、自分にとって特に必要な人でもなく、ただほんの数秒言葉を交わしただけの相手なのに、その数秒の会話でその後長年忘れられない印象を残すような人。

確か2003年頃、住んでいたアパート近くのセブンイレブンに安田さんと云う店員がいた。当時自分は40歳くらいで安田さんは多分20歳前後の女性なんだけど、太って大柄で顔は浅黒く髪はあまり手入れされていない金髪で、腫れぼったい一重まぶたの眼光が異様に鋭く、いつも太々しい薄笑いを口元に浮かべているような人だった。簡単に云うとヤンキーの親玉タイプ。他の店員もヤンキータイプ数名で皆安田さんの子分のような働きぶり。安田さんの目配せだけで皆が動いているのが分かるので。だが無論店長ではない。店長はしょぼくれた感じの還暦くらいのおじさんだった。

自分は毎日のようにミネラルウォーターや菓子パンを買いに行っていたのだけど、ある時からなぜか安田さんに妙な営業トークを投げられるようになる。「今日から恵方巻き発売になってるんですけど一本いかがですか〜??」と薄笑いを浮かべながら眼光鋭く訊ねられる、でも「いや、今日はいいです、、」と毎回断っていた。春頃から続いた営業トークに慣れて来た梅雨頃にまたトーク。「お中元用に水羊羹の詰め合わせが入荷しました!いかがでしょうか〜??」「いや、お中元送る習慣ないので、、」「いえいえ、最近は自分に送るってのもアリなんでっ!!どうですかぁ〜〜??」としつこい。相変わらず腫れぼったい目は眼光鋭く口元はニヤニヤしている。「いや〜、羊羹苦手なんで、、」と云ってそそくさと店を出た。

帰って家人にその顛末を報告すると「完璧になめられてるわね」とあっさり云われ、やっぱりそうか、と得心。40歳のおっさんがなんで20歳前後の太ったヤンキーになめられてるんだろう?と不思議に思った家人も「安田さん」を確認しに行った後、「あれは全く敵わないからもし嫌なら違うコンビニに行った方がいいよ」と云われセブンイレブンにはしばらく行かなくなったら、1年後にその店は潰れた。そうか安田さんはカモを見つけては店の存続の為にがんばっていたのだろうか?いや、でもな、自分にお中元送るのは無いだろう?やはり。

今でもたまに思い出す安田さん。もう40歳近いだろう、当時の自分と同じくらいかも知れない。強烈な印象を残した人だった。会いたくはない。 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Because you choose, a memory exists.
思い出はあなたが選択したから存在する。

 

話は変わって、大阪 noji+でのイラスト展がおかげさまで無事終了しました。足を運んでくださった皆さん、気に留めてくださった皆さん、お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。


 

2022年1月8日土曜日

リリーのすべて

年明けからあっという間に1週間。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。楽しい1年になりますように。

このところ浅はかな映画感想文ばかりで恐縮ですが今日も同じく。少しネタバレあります。

「リリーのすべて」を観た。 自分にとって理解し易い内容ではなかったけど観てよかった。心の性別と身体的性別が一致しない事は自身の内外から当人と身近な人々を苦しめるのだと想像は出来ても、しっくりと理解するのは難しい。対して伴侶がそうだった場合の、自分の理解の外側を受け入れる事の困難の方が自分には近く思い描く事が出来るので、どうしても感情移入するのは奥さんの方にだった。

リリーを演じたエディ・レッドメインは以前ホーキング博士を演じた映画で知った。緻密な役作りで機械のように正確な演技はとても緊張感があって見応えがある。先日書いたクリスティン・スコット・トーマスも似たタイプ。奥さんゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルは同じように緻密でありながら更に人間臭い温もりのある演技で凄い人だなと思った。付け加えると実際のゲルダ・ヴェイナーに顔立ちもかなり近い。

リリーが鏡に向かって自身の肉体に対する違和感を露わにするシーンはいかにも強烈なシーンを撮ろうと云う演出に思えて要らないなと思う。こう云うシーンが無ければもっと映画の内容に入り込めるのにと思うけれど、インパクトのあるシーンを設ける事がスポンサーを納得させるのに必要なのだろうか?分からない。 

登場する絵画作品は映画の為に用意されたもので、実際に残されている作品とは違うのだと思う。かなり丁寧に準備されたのは分かるけど、でもイマイチだったな。

素晴らしかったのはラスト。リリーの故郷の荒涼とした風景に居場所を求めて叶わなかった魂が吸い込まれて行く。とても寂しいシーンだけれどゲルダの表情が素晴らしく、双方にとってこれが「救い」だったのだと心に残った。「知る」事はいつも経験に間に合わない。

時代背景を考えると、とてつもなく困難な闘いに挑んだ人だったと思う。今はトランスジェンダーと云う言葉をよく見聞きするようになって理解が広がったとは思うけど、まだまだ偏見が多いのだから、観れてよかったと思った次第。

話は変わって、1月9日(日)〜1月16日(日)まで大阪のnoji+と云うお店でイラスト展をさせてもらいます。よろしくお願いします。

西脇一弘 イラスト展 2022
noji+:大阪府池田市鉢塚1-10-3-2階

When I meet a strange memory.
Knowledge function more late than experience.

私が見知らぬ記憶に出会う時、知識は経験より遅れて機能する。