2020年10月28日水曜日

しじまの中で

 畑を耕して種を蒔いて世話をした人は実ったものを手に入れる。なんだか大仰な出だしだけど、結局これに尽きると思うんだよな。

自分は怠け者だし能力不足だからたいしたものは手に入らないけど、ずっと音楽を作って絵を描いてきたって云う「実感」だけは手元に残るんだよね。それに価値を感じる人が一人も居なかったとしても、それだけは誰にも奪えない。うまくやっておいしい思いをしようって作戦ばかり練ってるような人に時々出会うけど、そんなの意味ないと思う。たいした事をしてないなら、たいした事ないものしか手に入らない。搾取しておいしい思いをした人には何も残らないと思うんだよね。この考えは20歳の頃から変わらない。

僕は幸いな事に同じような考え方の人と一緒に長年音楽を作ってきた。だから一緒に演奏する曲がたくさんあるし、作ろうと思えばこれからも作って行ける。世の中で価値があるかどうかしか判断基準を持たない人にはきっと分からないだろうけど、 これは自分が今まで生きてきて一番よかったことだ。高校生の頃、僕は友達と一緒に音楽がやりたかった。やってどうする?とかいつまでやる?とか何も考えてなくて、ただやりたかった。自分が音楽を作ったり絵を描いたりしているのは、それを続けているだけなんだよね。

山口冨士夫さんの素晴らしい歌がある。

https://www.youtube.com/watch?v=Tz6RIggreC8

「しじまの中で」

オレはただ窓に座って外を見てただけなんだよ
だから気にするな、、
オレの友だち
オレの友だちよ、、


 

2020年10月19日月曜日

秋冷

朝晩は結構冷えるようになって、うっかりギックリ腰になってしまった。20代の頃、重いものを迂闊に持ち上げようとして初めてなって以来時々なってしまう。「ギックリ」するきっかけはくしゃみ、寝返り、その他様々。 今回は絵を描いていて描画の方向によって身体の向きを変えようとした時、何やら不自然な負担を腰に与えたのだと思う。40歳以降はうっかりしないように気を付けるようになったので回数はそれまでより減ったけど、近年も年に一回くらいなっている気がする。やってしまった今日よりも明日からが厳しいんだよね。

20代になった時は腰を庇って動かなくてはならないので動き方がお爺さんのようになってしまって思わず自分で笑ったけど、最早お爺さんが冗談ではなくなって来た。年を取ると色んな場面で老いを感じる。先日は体温計のボタン電池を交換しようとして、なんて事ない作業に5分ばかり悪戦苦闘した。直径5mm程度の小さなボタン電池を交換して蓋を閉めるだけがなんとも難しい。蓋をはめ込む為の小さな突起が老眼鏡をかけていてもよく見えないので、手探りで察しを付けようとするんだけどなかなか上手くいかなかった。僕は若い頃とても視力が良かったので「見えない」と云う不自由を感じた事がないし、手先の細かな作業も苦に感じる事はなかった。些細な事だけど、こうして出来た事が出来なくなる、思うように身体を動かす事が出来なくなる、と云うのは地味に堪える。やっとの事で体温計の電池を交換している自分は側から見れば間違いなく老人に片足突っ込んでいるだろう。なんで体温計の電池を交換する羽目になったかと云えば、コロナ以降なんとなく心配で毎日のように検温している為。

角田光代さんのエッセイには、加齢を感じる現象として食べ方が汚くなった。と書かれていた。それは箸で掴んで口にちゃんと運んだつもりがポロっと落としてしまう、とかそう云う事。自分の身体を自分の意図した通りにコントロール出来なくなって来る、と実感を込めて書いてあった。 読んで「分かる、分かる」と共感した次第。

僕は絵を描いたりギターを弾いたり、手元を意図した通りに動かせないと困る作業を毎日している。絵については若い頃より丁寧に時間をかけて作業をするようになった所為か、今のところ老眼で見え難い事以外は不自由は感じていない。若い頃のようにむやみに力んだり緊張したりしなくなったので、むしろ最近の方が意図した通りに手が動くようになった気さえする。 ギターはどうだろうか?練習不足で上手く弾けない事が多いので、指がもつれるのを加齢の所為には出来ない気がする。ともかく、若い頃弾けてた事が弾けなくなったとは思わない。思うに、これは毎日のように長年続けている事だからその部分だけは今のところ維持出来ているって事かも知れない。だとすれば、毎日の生活の中になるべく身体を動かす習慣を多く持つようにした方がいいと思う。

掃除洗濯を面倒がらず毎日しよう、自炊買い出しは毎日しているが今後も続けよう。一日置きの散歩は毎日にするか。等々出来るのはこんな事くらいだけど何もしないよりいいと思う。そう云えば数年前に買ったダンベルがあるけど全く使っていない。なんでか分からないけど「運動しよう」って思うと全然習慣にならない。そのかわりギターをもっとマメに練習するか、。

 すっかり秋も深まって、老いを実感するには絶好の季節。 



2020年10月2日金曜日

中秋の名月

 今日から10月。今夜の月はとても明るい。中秋の名月だそう。でも今日みたいに明る過ぎる月よりも、出ているのに気付かないような静かな月が美しいと思う。とは云えこれは夜に灯りを取るのが容易な現代人の感覚だろうな。夜がしんしんと暗く灯りが貴重だった頃は、明るい月がさぞ頼もしく心踊る美しさだったのだと思う。

 些細などうでもいい不満を幾つか。僕はパスモを持たず未だに小銭で切符を買って電車に乗っている。しかしひと月前にどうしても駅構内のコインロッカーを使う必要があり、今は小銭使用不可でパスモを使うしかなくて買った。でも電車に乗るには使わずにいた。先日新宿で小田急線からJRに乗り換える際、JRへの直通改札が切符では通れなくなっていて乗り換えがとても面倒だった。こうやって仕方なくパスモに変えざるを得ない状況に持って行くなら最初っからもう小銭は使えませんってスッパリ変えてほしい。そしたらすぐ諦めるんだから。パスモが嫌いなのは料金を前払いさせられるシステムだから。それが僅かに得だとかそんなの関係ない。

10年ぶりくらいで国勢調査が来た。以前は3年に一回くらい来ていたけど、無作意に選んでいるらしいからたまたまだよね。コロナの影響で対面での回答が出来ないので郵送かオンライン。ならばオンラインでと思ったら、ウチのパソコンのブラウザでは非対応だった。スマホで出来たので別にいいんだけど、こう云う事ってもっと融通が利くようにシステムを作れないものなのかな?給付金申請の時も同じ事を思った。10年落ちのパソコンを騙し騙し使ってる貧乏人は給付金ももらえないっておかしいよね?まあ、オンラインで出来なければ郵送すればいいんだけども。


楽器や音響機材の国内最大の安売り店「サウンドハウス」。僕はまだ小さな安売り店だった1992年頃から愛用していて、カセットテープMTRやshure-SM57、安価なMIDIキーボードなどを購入していた。要するにその頃からマイナーな宅録ミュージシャンにはありがたい店だった。その後A-DATからDAWが普及してそれなりのクオリティの音源が自宅でも作れるようになって「宅録」は予算のないマイナー音楽家だけのものではなくなった。むしろ宅録普及によって大きな録音スタジオや製作予算を持っていたレーベル等の方が打撃を受けただろうと思う。そして最近「サウンドハウス」は配信のシステムを詳しく紹介しながら、必要な機材をいろいろと紹介する記事をサイトに載せている。簡易な配信システムならマイナー音楽家が個人で必要な機材を揃えるのはそれほど難しい事ではなく、昔宅録を普及させたように、今度は誰もが手軽に配信ライブなどを出来るように紹介している。きっと昨今たくさん売れるんだろうと思う。こうやって配信も資本とノウハウがなければ出来ないものではなくなって行くならそう云うのはいいなと思う。サウンドハウスさんはただ商売熱心なだけだろうけど、。