2016年12月25日日曜日

練習と下描き

良い天気。部屋の窓から見える小さな畑の中に建っている小屋の周りに、
キラキラした陽だまりが出来ていて綺麗だなと思う。



















昨日、旧い作品を約千点くらい処分した。大きさは110cm/140cm〜140cm/200cmくらいの紙にペンキで描いた大きな絵で、1987~1998くらいの10年間に描いた作品。その全てに目を通すのは気が遠くなる作業なので、それほど確かめもせずにバッサバッサと切り刻んでゴミ袋へ入れていった。結局残しておく事にしたのは2枚だけで、他の千枚近くはすべて切り刻んでしまった。20代半ば〜30代半ばまでの間にひらすら描き続けた作業をものの数時間で処分してしまった感があって少し寂しかったけど、あの頃の自分は毎日練習と下描きに没頭していたのだなと、久しぶりに当時の作品を観て思った。

じゃあ今はその先へ進んでいるのか?と思えばそう云う確信は持てていない。相変わらず練習と下描きを繰り返しているのかも知れない。人生は練習なのかしら?




















2016年12月14日水曜日

見慣れない景色

引っ越して8日目。最低限ではあるけれど部屋の片付けも済んで、昨日から絵を描き始めていつもの日常に戻りつつある。でも部屋の窓からの眺めには未だ慣れなくて、目に入る度に「あっ、」と思う。それがイヤでカーテン代わりの布で窓を隠した。絵を描く部屋に眺めの良い景色なんか要らない。無くても構わないんじゃなくて、たぶん無い方がいい。先日「部屋に絵を飾らない」と書いたけど、それとほぼ同じ理由で要らない。新しい部屋からの眺めがそれほど明媚なわけではないけど、今まで暮らして来た部屋と比べると開放感があって空がよく見える。なんとなくそういうものへ向ける気持ちを画面に置いておきたいのだと思う。


























2016年12月3日土曜日

引っ越し二日前

引っ越しが二日後に迫って、荷物の片付けも大詰め。普段大きな絵は床に置いて描いている。ペンキを多用するので、立てて描くと流れてしまうから、床に寝かせて描くしかない。賃貸アパートなので床を汚さないように、床の上に大きなベニヤ板を敷いてその上で描いている。と云うか六畳の部屋全体に行き渡るように4枚のベニヤ板を敷き詰めて、その上で生活している。部屋の荷物の梱包が九割がた済んだので、今日はこのベニヤ板を外す作業をした。


























僕は持ち物を増やす事が嫌で、若い頃からずっと一貫しているので、二十歳過ぎの頃と荷物の量が殆ど変わっていない。家具と呼べるような物は殆どなく、小さな組み立て式の机と椅子くらい。なので、荷造りで苦労するのはもっぱら溜まった絵。こればかりは歳月と共に増えてしまう。そして引っ越しの度にそのあまりの多さに辟易して、半分ぐらいは古紙回収の日に捨ててしまう。今まで引っ越し〜引っ越しが5年程度の期間でそんな状態だったので、16年住んだ今回は簡単に云って三倍強。でも今回は絵を破棄するのはやめようと思っているので、いくら荷造りしても終わらない。大きい絵は持ち運べる重さの範囲でなるべく纏めて丸めて筒状にする。机上で描いた小さな作品は時期ごとに纏めてB4程度の封筒に分包してあって、これを大きなダンボールに詰めていくと5箱分。その一つ一つが腰が抜けるほど重い。


僕は引っ越す度に感傷的になる質で、それを最初に経験したのは小学6年の時。それまで6年間住んだ島根県松江市から神奈川県横浜市へ引っ越した。僕は大阪で生まれて1年くらい経った後、小学校前までを三重県津市で暮らしてから松江に越したのだけど、その時まではまだ感傷的になる様な年齢ではなかったので、物心ついてからの最初の引っ越しだった。当時新幹線は新大阪までしか通っていなくて、松江から新大阪まではおそろしく時間がかかった。なので引っ越しの時は寝台特急で横浜へ向かった。夜乗って寝て起きたら着いている様なやつ。まだ子供だったものの、住み慣れた土地、仲の良い友人達と離れる事は寂しくて仕方がなかった。見送りに来てくれた近所の友人達と別れを惜しみながら夜行列車に乗り込む。カーテンで仕切られた狭い寝台車の寝床で、小さな窓から殆ど真っ暗闇の外を眺めて、初めて経験する別離の途方もない寂しさと切なさに打ちひしがれていた。その後今までに何度も引っ越しを経験したし、その度に寂しい思いをして来たのだけど、重なる経験によって、寂しさや切なさをやり過ごす事が出来る事を知って行く。でもあの時の僕にはその経験がなかったので、全力でその寂しさに打ち砕かれていた。


























今回の引っ越しも相変わらず寂しい。父が転勤族だったので、僕は16年も同じ土地に住んだのは初めての経験だった。過去を振り返らないなんて馬鹿げていると思っているから、僕は若い頃から度々過去を振り返る。そしてもう決して戻らない情景を思って途方に暮れる。松江から引っ越したあの夜、小さな車窓を眺めて流した涙は未だ乾いていないのだ。感傷的であろうと女々しかろうと、僕が絵を描いている理由の殆どはこうして「途方に暮れているから」に過ぎない。