夕暮れ時、食材の買い出しに駅前のスーパーへ歩いていると救急車のサイレンが近所(ウチから徒歩40秒くらい)に停まった。 コロナで自宅療養中の方が重症化してしまったのだろうか?と心配に思いつつ(知り合いの家ではない)通り過ぎると、そのすぐ先の小さなクリーニング店からヒステリックなオバさんの話し声が聞こえてくる。何やら自分が被った損害について捲し立てて、店主のおっさんは平謝り状態。オバさんは何かを具体的に要求するでもなく、交渉話し合いを求めるでもなく、ただ相手を徹底的に打ちのめしたいだけの言及で、おっさんは云われるがままに打ちのめされて相手の怒りが過ぎ去るのを待っている体。おっさん側に何かミスがあったのかも知れないけど、時々頼みに行くクリーニング店なので気の毒に思いながら通り過ぎる。
ウチから徒歩15分程度の駅前のスーパーに到着していつもと変わりない食材を買おうと思うと、なぜかキャベツが売り切れているので、取り敢えず他のものを買い込み更に少し遠いスーパーへキャベツを買いに行ったらそこでも売り切れていて、仕方なく代わりに白菜を買って、なんでも当たり前に有ると思ってはイカンなと得心して帰路に向かう。
先ほどのクリーニング店の前を通るとオバさんは寸分違わぬ様子でまだ喚いていて、おっさんも変わらず深く頭を垂れて恐縮している。そのすぐ先にはまだ救急車が停まっており、救急隊員の方が忙しく行ったり来たりしている。コロナに感染した方なのか、全然違うのか分からないけど、受け入れ先が見つからないのだろうか?と心配になる。本当にこんな事態はあってはならない事だと思う。たとえ「なんでも当たり前に有ると思ってはイカン」としても。
身近な事柄として、ライブや展覧会を企画する側(お店含む)も出演者、参加者側も規模の大小を問わず難しい決断を迫られている。知人にも感染した人が何人か居てなかなか入院出来ず自宅療養で苦労している様子を知って心配になる。こんな状況で「どうするべき」と自分に云える事はないけれど、ともかく命最優先だと思う。金が(仕事が)なきゃ生きて行けないのも、心血を注いだ音楽や絵や「計画」があるのも、それを必要とする人が居るのも踏まえた上でそう思う。