sakanaのホームページで続けていたpicture diaryが終了したので、このブログでdiaryを続けて行きます。今までは1回の更新でだいたい5日分くらいを纏めていたけど、ブログは更新の日付が残ってしまうのでヘンかな〜と思いつつ、今回は3日分を纏めてみます。
1/14(mon,) 2019
水曜日のライブに備えてスタジオで山際英樹さんとリハーサル。今回はツーマンなので山際さんとのデュオの持ち時間は1時間。前回演った曲を2曲削り、代わりに新しい曲を2曲追加。アドリブのループセッションは前回より短めの構成になると思う。前回も十分地味だったと思うけど、今回はさらに地味になる事は間違いない。
しかしメインアクトの中村まりさんがいつものように圧倒的な演奏を繰り広げてくれるだろうからきっとよいバランスになるだろう。
1/16(wed,) 2019
と云うわけで本日は下北沢leteにて「ギターはわらっている vol.10」記念すべき(って程でもないけど)10回目は、歌い手としてソングライターとしてギタリストとして大尊敬する中村まりさんにメインアクトをお願いしました。大尊敬していると云いつつ、中村さんのライブを聴くのは2年ぶりくらい。演者としての気持ちの解け方にまた一段と磨きがかかったと云うか、。本当に豊かな音楽だと思う。正しく音楽を愛して、正しく奏でる、1番当たり前で1番難しい事を飄々とやってのける後ろ側には、きっと正しくあろうとする人生があるんだろうな、と年寄りっぽい事を想いながら聴き入った。明るく幸せであろうとする事はなんとなく寂しい事だなと。
山際さんとのデュオは2回目。1回目はわりと楽しく演りやすい。2回目は難しい。前回よりうまくやろうっていろいろ考えてしまうからね。でもお互いそれを知っているので、うむ、ではどうしようか?ってなっている感じが面白かった。音数は少なめ、ミスは多め、内容の半分は長さの決まっていないセッションだったけど、演奏時間は時計を見ながら演奏していたかのようにピッタリ予定通りだった。終わった後の山際さんの一言「オレたち時間だけは守るね」
聴きに来てくださった皆さん、お世話になった皆さん、中村さん、山際さん、どうもありがとうございました。
1/18(fri,) 2019
今年の5日からスマホを使い始めた。ヤフオクで旧過ぎない中古のSIMフリー端末を購入。今までのガラケーはauだったけど、予約番号もらってLINEモバイルに乗り換えた。料金プランから端末の選択、どんな手続きが必要かなど、あらゆる事をしゃしくえと云うバンドをやっている田中くんに教えてもらってスゴく助かった。と云うか契約後もLINEやインスタの使い方が分からないとか、文字入力のコピーペーストってどうやるのか?とか分からない度に訊いて教えてもらっている。田中くんの年齢は僕のちょうど半分。田中くんにしてみれば、父親からいろいろ質問されて説明しているような心持ちだろう。しかしこちらはただ友だちに訊いているような気分なんだよね。まあ僕は子供がいない所為もあるだろうけど、先に歳を取った側はそう云うもんだと思う。心は身体のようになかなか相応に歳を取れない。
さてようやくスマホを使ってみた実感。あんまり必要ないな、ネットは家で見ればいいし。スマホじゃないと出来ないインスタとLINEが出来るようになったのはまあよかった。それにガラケーより料金は安くなったしね。しかし画面が小さ過ぎて眼がスゴく疲れる。僕は一応眼を労らなくてはいけない仕事をしているつもりなのでやはり長時間の使用は無理。1日の終わりにスクリーンタイムを確認する。大体毎日トータルで20分くらい。内訳はSNS10分、残りの10分は知り合いのブログを読んだり、オークションを物色したり。
2019年1月19日土曜日
2019年1月3日木曜日
仕舞われた心
毎年元旦二日は穏やかな日が多い(関東では)。三日目辺りで少し天気が悪くなったり寒くなる事が多い気がしていたけど、今年の三が日は同じように穏やかな天候だった。
昨年いっぱいで34年続けたバンド活動?を終了した為、自分の心の中ではとても感慨深い年末だったけれど、やっている事は全くいつもと変わりなかった。
もし世の中の全ての人が自分の心の内を行動に晒け出して生活していたら世の中はさぞ賑やかで騒がしいだろうなあ。でも人の心はたいてい大切にその人の中に仕舞われている。
音楽を奏でたり絵を描いたりするのは、仕舞われた心を垣間見せる行為のように思われているけれど、果たしてそうなのか?むしろ自分でどこに仕舞ったか分からなくなった心を探す行為じゃないかな?と自分は思うのだけど。
例えば戦前のカントリーブルースなどを歌詞を読みながら聴いていると、その内容は誰かに想いを吐露しているようでありながら、自分に向かって歌っているようにしか聴こえない。もちろんそうではない大きなビジネスとしての大衆音楽もあるわけだけど、自分はそういう「自分にむかって」歌っているような音楽に惹かれる。その静けさと正直さに。
逆に云えば自分で自分を煽っているような音楽や絵にはあまり興味が持てない。
昨年いっぱいで34年続けたバンド活動?を終了した為、自分の心の中ではとても感慨深い年末だったけれど、やっている事は全くいつもと変わりなかった。
もし世の中の全ての人が自分の心の内を行動に晒け出して生活していたら世の中はさぞ賑やかで騒がしいだろうなあ。でも人の心はたいてい大切にその人の中に仕舞われている。
音楽を奏でたり絵を描いたりするのは、仕舞われた心を垣間見せる行為のように思われているけれど、果たしてそうなのか?むしろ自分でどこに仕舞ったか分からなくなった心を探す行為じゃないかな?と自分は思うのだけど。
例えば戦前のカントリーブルースなどを歌詞を読みながら聴いていると、その内容は誰かに想いを吐露しているようでありながら、自分に向かって歌っているようにしか聴こえない。もちろんそうではない大きなビジネスとしての大衆音楽もあるわけだけど、自分はそういう「自分にむかって」歌っているような音楽に惹かれる。その静けさと正直さに。
逆に云えば自分で自分を煽っているような音楽や絵にはあまり興味が持てない。
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