2021年1月15日金曜日

忘れもの

ネットでこんな記事が目にとまる。

「どこで読んだだろう。アフリカの、普段すごい長距離を歩いて移動している部族のひとたちを車に乗せてあげたところ、目的地で一同しばらく放心していたという。どうしたのかと訊いたら「魂が追いついてくるのを待っているのです」と。実は、我々みんなに当てはまる話なんじゃないかと思ってる」

そう云えば随分以前にもどこかで全く同じ内容の記事を読んだなと思い出す。まだ20代でネットも携帯電話も普及する前だったけど同じように心に残った。 別に生活が新たな便利品によって変化するのを批判するつもりなんてない。今更無かった時代に戻ったら、不便を感じて仕方が無いはず。バカみたいだけど今はいい時代だなとも思っている。昔は好きな音楽家の演奏映像が観たいために新宿外れの怪しげな海賊盤屋に行って数千円を払ってあり得ないほど低画質なビデオテープを観る羽目になったりした。

でもそんな便利さは凄まじいスピードで世の中を駆け巡る情報の中から自分に必要なものを見極めて掬い取る為の反射神経を要求する。誰もが理解し反応するスピードを求められて「早い」が美徳の一つになり、若者は得意顔で端末を手早く操作する。皆が瞬時に理解出来るものを求め、そうではないものは瞬く間に無用になって行く。そうやって獲得した「余暇」で人々は何をしてるんだろう?でも「暇」はたぶん最高の贅沢品。

自分たちはそんな発展の中で、いったいどれだけの言葉や関係や認識や理解や記憶や「心」を置き去りにしたのか?「その事」を忘れない方が善いと行き場を失って迷走し続ける世の中が物語っている気がする。

もう少し考える暇がほしいと思うんだよね。