朝晩は結構冷えるようになって、うっかりギックリ腰になってしまった。20代の頃、重いものを迂闊に持ち上げようとして初めてなって以来時々なってしまう。「ギックリ」するきっかけはくしゃみ、寝返り、その他様々。 今回は絵を描いていて描画の方向によって身体の向きを変えようとした時、何やら不自然な負担を腰に与えたのだと思う。40歳以降はうっかりしないように気を付けるようになったので回数はそれまでより減ったけど、近年も年に一回くらいなっている気がする。やってしまった今日よりも明日からが厳しいんだよね。
20代になった時は腰を庇って動かなくてはならないので動き方がお爺さんのようになってしまって思わず自分で笑ったけど、最早お爺さんが冗談ではなくなって来た。年を取ると色んな場面で老いを感じる。先日は体温計のボタン電池を交換しようとして、なんて事ない作業に5分ばかり悪戦苦闘した。直径5mm程度の小さなボタン電池を交換して蓋を閉めるだけがなんとも難しい。蓋をはめ込む為の小さな突起が老眼鏡をかけていてもよく見えないので、手探りで察しを付けようとするんだけどなかなか上手くいかなかった。僕は若い頃とても視力が良かったので「見えない」と云う不自由を感じた事がないし、手先の細かな作業も苦に感じる事はなかった。些細な事だけど、こうして出来た事が出来なくなる、思うように身体を動かす事が出来なくなる、と云うのは地味に堪える。やっとの事で体温計の電池を交換している自分は側から見れば間違いなく老人に片足突っ込んでいるだろう。なんで体温計の電池を交換する羽目になったかと云えば、コロナ以降なんとなく心配で毎日のように検温している為。
角田光代さんのエッセイには、加齢を感じる現象として食べ方が汚くなった。と書かれていた。それは箸で掴んで口にちゃんと運んだつもりがポロっと落としてしまう、とかそう云う事。自分の身体を自分の意図した通りにコントロール出来なくなって来る、と実感を込めて書いてあった。 読んで「分かる、分かる」と共感した次第。
僕は絵を描いたりギターを弾いたり、手元を意図した通りに動かせないと困る作業を毎日している。絵については若い頃より丁寧に時間をかけて作業をするようになった所為か、今のところ老眼で見え難い事以外は不自由は感じていない。若い頃のようにむやみに力んだり緊張したりしなくなったので、むしろ最近の方が意図した通りに手が動くようになった気さえする。 ギターはどうだろうか?練習不足で上手く弾けない事が多いので、指がもつれるのを加齢の所為には出来ない気がする。ともかく、若い頃弾けてた事が弾けなくなったとは思わない。思うに、これは毎日のように長年続けている事だからその部分だけは今のところ維持出来ているって事かも知れない。だとすれば、毎日の生活の中になるべく身体を動かす習慣を多く持つようにした方がいいと思う。
掃除洗濯を面倒がらず毎日しよう、自炊買い出しは毎日しているが今後も続けよう。一日置きの散歩は毎日にするか。等々出来るのはこんな事くらいだけど何もしないよりいいと思う。そう云えば数年前に買ったダンベルがあるけど全く使っていない。なんでか分からないけど「運動しよう」って思うと全然習慣にならない。そのかわりギターをもっとマメに練習するか、。
すっかり秋も深まって、老いを実感するには絶好の季節。