コロナ感染者が増えていて気掛かり。自分は引き籠り仕事だけど、ポコペンさんは販売員で電車通勤だし日々沢山の人に会っているので心配でいろいろ訊ねると、街の人出の感じや店の売り上げもほぼ元通り?になっていると云う。そりゃそうだよな、こんなに長く続いていれば無理もない。しかし今頃こんな事云ってるのもアホっぽいけど7月のオリンピックってやる気なんだ?、無茶過ぎる。
話は変わって、
噂話を好む人がいる。おばちゃんの井戸端会議みたいな派手なやつじゃなくて、もっと控えめで、こんな話あまりしたくないけど、、って体で語られるような。それを聞いてたいして知らない聞き手もその人を解ったような気になって評価分類する。洒落たカルチャー雑誌?(そんなの今もあるの?)に紹介されていたマニアックなアルバムを探して手に入れて悦に入って聴いている(本当に心を打つものかも知れないけど)、どこかのネット記事で今これを観ておかなきゃヤバいだろう?って煽られてやたらに混んでる大きな美術館に行って壮大なインスタレーションを観る(体験する)。与えられた情報に自分で手っ取り早く肉付けして対象を知った事にするのが今のスタンダードなのかも知れない。でも自分はなるべくそうではないようにしたい。もし心を打つアルバムに出会ったら毎日曲間の秒数までカウント出来るくらい聴き込む。持っているアルバムはこれ1枚かってくらいに。そうするとほんの少しだけそのアルバムが分かったような気がする。もし心を打つ絵に出会ったら同じ人が描いた絵を調べて少しでもたくさん観てみる。もし展覧会が行くのが可能な場所で開かれたら速攻で観に行ってくたくたになるまで何時間でも観る。そうしていると絵に描かれた湿度や匂いまで感じられるようになる。1人の人を知るのはもっと時間がかかる。30年以上の付き合いだって謎は深まるばかりで知っている事より分からない事の数が増えて行く。でもたぶん分からない事が増えた分だけ少し知り合えているのだと思う。云うまでもなく人生は短い。百億の情報を得て千人の友達を作るのが望みの人はそうすればいいけど、自分は2~3の音楽と絵、1人と云うとちょっと格好付けてるようだから2~3人の人と知り合えれば十分だし、それだって時間は全然足りない。
話は変わって、
相変わらず部屋で絵を描く毎日。自分にとって簡単に出来る事なんて何もないので、当然絵を描くのも毎日「難しいな〜」と思っている。座標?と云うか視点?、が動かない(ブレない)で描くのはとても重要で、そして難しい。絵について語る時よく「デッサンが上手い、得意」とか云う。これは観たものの形、輪郭を正確に捉えて描く能力みたいに云われる事が多いけどホントはもっと広義で、画面を構成(構築)する能力だと思う。視点がブレない事は安定感のある画面を作る上で大切だけど、気付くと結構ブレていてその度に修正する。もちろんわざと視点をズラしたり、動かしたりするアイデアや技術もあって、それによって不安定で緊張感のある画面を作るテクニックもあるけど、自分は安定感のある静かな画面を目指して描いている事が多い。
思えば20代の頃から今に至るまで、目に留まったものや思い浮かんだアイデアを何度も描いて練習して来たけど、結局視点を動かさないで手を動かす練習だったのだと思う。と云うわけで相変わらず日々練習。やはり人生はリハーサルみたいなものかも知れない。いったいなんの為の??