2021年8月21日土曜日

晩夏

夕暮れ時、食材の買い出しに駅前のスーパーへ歩いていると救急車のサイレンが近所(ウチから徒歩40秒くらい)に停まった。 コロナで自宅療養中の方が重症化してしまったのだろうか?と心配に思いつつ(知り合いの家ではない)通り過ぎると、そのすぐ先の小さなクリーニング店からヒステリックなオバさんの話し声が聞こえてくる。何やら自分が被った損害について捲し立てて、店主のおっさんは平謝り状態。オバさんは何かを具体的に要求するでもなく、交渉話し合いを求めるでもなく、ただ相手を徹底的に打ちのめしたいだけの言及で、おっさんは云われるがままに打ちのめされて相手の怒りが過ぎ去るのを待っている体。おっさん側に何かミスがあったのかも知れないけど、時々頼みに行くクリーニング店なので気の毒に思いながら通り過ぎる。

ウチから徒歩15分程度の駅前のスーパーに到着していつもと変わりない食材を買おうと思うと、なぜかキャベツが売り切れているので、取り敢えず他のものを買い込み更に少し遠いスーパーへキャベツを買いに行ったらそこでも売り切れていて、仕方なく代わりに白菜を買って、なんでも当たり前に有ると思ってはイカンなと得心して帰路に向かう。

先ほどのクリーニング店の前を通るとオバさんは寸分違わぬ様子でまだ喚いていて、おっさんも変わらず深く頭を垂れて恐縮している。そのすぐ先にはまだ救急車が停まっており、救急隊員の方が忙しく行ったり来たりしている。コロナに感染した方なのか、全然違うのか分からないけど、受け入れ先が見つからないのだろうか?と心配になる。本当にこんな事態はあってはならない事だと思う。たとえ「なんでも当たり前に有ると思ってはイカン」としても。

身近な事柄として、ライブや展覧会を企画する側(お店含む)も出演者、参加者側も規模の大小を問わず難しい決断を迫られている。知人にも感染した人が何人か居てなかなか入院出来ず自宅療養で苦労している様子を知って心配になる。こんな状況で「どうするべき」と自分に云える事はないけれど、ともかく命最優先だと思う。金が(仕事が)なきゃ生きて行けないのも、心血を注いだ音楽や絵や「計画」があるのも、それを必要とする人が居るのも踏まえた上でそう思う。


 

2021年8月6日金曜日

真夏の憂鬱

毎日暑い。オリンピックは行われ感染者数は増え続け、何処かの誰かの不適切な言動がSNSに流れて来て、原爆が投下された日〜終戦の日になって、自分の好きな音楽家の命日があって、度々台風が訪れて、。自分にとって8月は毎年物思いに沈む季節。ワクチン接種は近日中に行く予定。

先日SNSで障害のある人に対するイジメを行った過去が話題になっていた人物について言及するつもりは全くないけど、単純に「イジメ」について書きたい事がある。自分は中学1年生の頃に同級生からの執拗なイジメを経験した。身体が大きく喧嘩が強い事が自慢の横柄な奴だったので、自分を下僕のように扱ってあれこれ命令するのだが、僕は云いなりになるのが嫌でその度に殴られていた(以下イジメ野郎をA、自分をNとする)。この事を教師や親に報告したいと思った事はない。同じクラスの生徒は皆その状況を見て見ぬ振りをしていたが、ある日の授業中、正義感旺盛な?生徒が教師に向かって皆の前で発言する。「A君がN君をイジメているのを度々目にするのですが、先生から注意するべきだと思います」

随分余計な事をしてくれる、と思う。クラス中から同情と好奇が同居した目線が注がれる。教師が「本当なのか?」と訊ねてくるが返事はしない(出来ない)。この教師も若く妙な正義感を持っていて、授業を中断してイジメ問題に取り組み始める。「もしイジメが事実なら君達はなぜ今まで何もぜず、何も云わずにいたのか?」と説教を始め、クラスの端から順番にこの問題についてどう考えているのか?を発言させた。余計な事に追い打ちをかけやがる、と思う。お前のやっている事もただのイジメだぞ?と思う。

大抵の生徒は当たり障りない事を云って場をやり過ごす。「イジメはよくないと思います、自分もそうならないよう気をつけます」等々。すると一人の生徒がこう云った。「僕はN君がイジメられているのを何度も見ていたけど、止めずに皆と見物していました。正直に云うと少し面白がっていたと思います。だから僕もA君と同じだと思います。A君が悪いと責める事は自分には出来ません。ただ今は自分をとても恥ずかしく思っているので、この気持ちを忘れないようにしたいと思います」

幼い自分には青天の霹靂だった。こう云う奴が世の中を動かすんだと思った。教師にもクラスメートにもイジメ野郎にも寛容さを示し、イジメを受けた自分を弱者として処理したこの生徒には反吐が出る思いだった。力のあるものを味方に付ける狡猾さ、もしかしたら自分でも気付いていないかも知れない狡さ。もしこの生徒の言動で自分が助かった部分があるとすれば、この生徒へのムカつきが強すぎてイジメ野郎の事がどうでもよくなった事だった。

自分にとって最も信じられないのは、自分を「分かっている」側に置こうとする人だ。政治の話をしたって、イジメの話をしたって、他のなんの話をしたって必ずそういう人がいる。

自分のイジメ問題は上記の悶着後も続いたのだが(より巧妙に隠れて殴られた)、中学2年に上がる時、通っていた中学がマンモス化して生徒が増え過ぎた為、学区が二つに分割されて分校が出来、イジメ野郎は分校に通う事になったので顔を合わせる事が無くなった。元々理由もなく思い付きでやっていた事だから、わざわざ学区外の学校に足を運ぶほどの熱意はなかったのだ。こうしてイジメは1年で過ぎ去ったけど、この経験で「イジメ」の匂いには敏感になった。イジメ感覚は世の中のあらゆる場面に潜んでいる。本当にウンザリするほど何処にでも転がっている。今だってお前らの思い通りには動かねえぞと思っている。