2017年3月28日火曜日

相変わらず部屋で絵を描いていて、

技術的な面で時々思うこと。例えば何気なく描いた一本の線がとてもよい塩梅だった。でもあまりに何気なくだったので線が途中で少し擦れてしまった。上から二度、三度、なぞって線のよいニュアンスを損なわないように筆を重ねてみる。ヨシ、ヨシ、ヨシッと。この三度目の「ヨシ」が余分だった。線が濃くなりすぎて折角のよいニュアンスが失われてしまった。僕はこう云う場合たいていは絵具が乾かないうちに拭き取ってもう一回同じことをやり直す。やり直すと最初の「何気なさ故のよいニュアンス」を再生することは出来ないけれど、やり過ぎた重ね塗りよりはマシな状態に復元してその作業を終える。こう云うことは絵を描いていると度々ある。そしてこう思う。「余計なことまでせずにおく事」は重要な技術だなと。

絵であれなんであれ「前回より少しでもよいものを」と取り組めばどうしても「やらずに済ませてしまった失敗」より「やり過ぎてしまった失敗」が多いのは否めない。あと一歩のところで「やらずに済ます」のはとても難しいけど、「あそこでやめておけばよかった」と云う後悔も随分経験してきたので、最近はほんの少しやり過ぎを回避出来るようになった気がしている。こんな事を書いていると、なんだか自分が年寄りっぽく思えてイヤなんだけど。


2017年3月7日火曜日

連作

前作の人物をほぼ同じ構図のまま、角度と表情を少し変えてもう一度描いてみる。こう云う連作は今までにも何度か描いた事があるけど案外難しい。同じ人物のつもりで描いていても気が付くと違う人になっている時がある。「違う人」「同じ人」の基準は自分の中に在るだけのものだから曖昧なんだけど、でも描いている自分が「そう思えるかどうか」はやっぱり重要。同じ人物が瞬間にみせる表情の機微を描いてみたいと思ったのだから、違う人になってしまったら失敗なんだよね。以下の写真は7割程度。この時点ではまだ「違う人」にはなっていない。